21

 チャムスからハルビンへと、太郎は毎日定式化されたような肉声を送った。本隊への連絡チャネルへと周波数を合わせ「こちら第八方面部隊、小笠原二等兵であります」と受話器に向かって話しかけると、すぐに応答がある――「こちら、ハルビン。そちらの状況はどうか?」。「はい。こちらは特に異常ありません」と太郎は答える――「そうか」と相手は言って、通信が終わる。これが、太郎に課せられた最重要任務だった。同僚は、毎日過酷な訓練おこなわなくてはならない(太郎にはその訓練は、不必要なものに思われてならなかったのだが)。それと比べると、自分の仕事はなんて穏やかなものなのだろう、と太郎は思った。
 一日中、通信室――元々は宿屋の客室だった狭い部屋だ――に閉じこもり、じっとどこかからら通信が入るのを待ち続ける日々が続くと、これが退屈というものかと太郎は感じた。御庭町にいた頃は、夜明け前から鶏に餌をやる仕事をやらなくてはいけなかったし、訓練所では毎朝ラッパの音で目が覚めるとすぐに訓練が始まった。しかし、チャムスに来てからは違う。毎日がただぼんやりと過ぎていくのだ。心を動かすものはほとんどなく、自分のなかからだんだんと感情というものが薄れていくようにさえ思われた――同時に、御庭町への郷愁の念も曖昧なものとなっていったのには、太郎は少しだけ救われたような気がした。
 太郎以外に通信室に足を踏み入れるものはほとんどいなかった。しかし、週に1度ぐらいだったろうか、太郎がいつものように通信が入ってくるのを待っているところに、通信室のドアが突然開き、沢登が入ってくることがあった。このときばかりは、太郎も緊張を隠すことができなかった。話をするわけでも命令を下すわけでもなく、太郎をじっと監視するようにして沢登は部屋に留まった――そうすると太郎は振り返ることもできず、沢登の冷たい視線が背中に突き刺さるような感じに耐えなくてはいけなかった。何のために沢登がこの部屋に来るのか、太郎には分からなかった。「彼も訓練ばかり続けなくてはならないチャムスでの日常に退屈を感じていたのではないだろうか」。そんな風に考えることはあっても、それを尋ねる勇気を太郎は持っていなかった。その不可解な行動に、沢登に対して最初に感じていた好意とは違った、得たいの知れないものに対する不気味さ、恐ろしさのようなものを太郎は感じるようになった。
 ある日、同僚が沢登の冷酷さや非情さを示すいくつかの逸話を話しているのが太郎の耳に入ってきた。捕虜となった中国人の武装農民の首に次々と銃剣を突き立てた。戦闘で怪我をして歩けなくなった部下にトドメを刺した。第八方面部隊の本営となった宿屋の主人と女将を殺し、残った娘も陵辱して、今も飼い犬のように扱っている――見たことがある顔だが、名前は知らない若い兵士は、まるで猥談するかのように沢登のことを話していた。
 その話のどこまでが本当の話か太郎には分からない。確かだったのは、自分の中で沢登がより一層恐ろしい存在となって膨らんでいったことだけだった。

20

 イリヤ・ピョートルヴィチ・ヴィシネフスキーは代々ロマノフ王朝に仕える宮廷医の家の次男として生まれ、しかるべき教育を受けた後、父、ピョートル・イリイッチや兄、ウラディミール・ピョートルヴィチがそうしたように皇帝に仕える医師となった。医学を志すことはヴィシネフスキー家に生まれたイリヤ・ピョートルヴィチにとって当たり前のことだったし、疑うことのできない道だった――彼の最初の記憶は、ペチカの前に座った母、アンナ・ドブローヴナに抱かれながら壁に飾られた歴代の家長の肖像画を眺めたことだ。そこで母は言った。「イリューシャ。あなたもおじいちゃんたちのように、立派なお医者さまになるんだからね。それがヴィシネフスキー家の生まれた男の子の宿命なんだから」。幼い彼には、その宿命が自らの幸福を約束してくれる輝かしいものに思えた。
 イリヤ・ピョートルヴィチは紛れも無い天才だった。高等数学や生物化学といった、ペテルブルク医学院に入学するために必要な科目は、12歳にしてほぼ充分に体得されており、このことは父、ピョートル・イリイッチや当時、医学院の学長を勤めていた祖父、イリヤ・ピョートルヴィチを驚かせた。祖父、イリヤ・ピョートルヴィチも皇帝の寵愛を長らく受け続けた優秀な内科医だったのだが、同じ名前を授けられた孫がそのような才能を示したことで一族の今後の安泰を確信した気持ちになった。そして、孫が無事に医学院へと入学したのを見届けたあと、すぐさま全ての職を退いて、その3年後に食あたりで死んだ。
 イリヤ・ピョートルヴィチは学問だけでなく、音楽でも類まれなる才能を発揮した。社交界では長い間、音楽が流行しており、ピョートル・イリイッチもその界隈ではバリトンの名人として名を馳せていたのだが、イリヤ・ピョートルヴィチのピアノの腕前は、父の美声が素人に毛が生えた程度に思えるほど素晴らしいものだった。初めて彼が鍵盤に触れたのは8歳のときだったが、10歳のときには、ヴィシネフスキー家の館にあったプレイエル社製のチッペンデールを誰よりも上手く弾くことができるようになっていた――そのピアノは、母の嫁入り道具のひとつであったのだが、彼がリスト編曲によるベートーヴェン交響曲を弾くのを聴いて「あれは、もうイリューシャのものね」と言葉を漏らしたという。
 この音楽的才能によって、一時はドイツから招かれていた有名なピアノ教師にペテルブルク音楽院への入学を強く勧められるのだが、イリヤ・ピョートルヴィチはその要請をきっぱりと断った。「既に入学の許可は取っておいた」、「君はモーツァルトにもショパンにも、リストにもなれるのだよ」と言うピアノ教師に向かって、イリヤ・ピョートルヴィチは言った――「残念ですが、先生。音楽によって人を救うことはできません。私は医者になるべきなのです。音楽は趣味にとどめておくべきでしょう」。自分の腰ほどしかない身丈の少年が、凛とした態度でこのような意見を述べたことはピアノ教師を驚かせたのは言うまでも無い。しかし、この言葉は「自分の手でこの神童を育てることはできない」ということをピアノ教師に痛いほど理解させるものだった。
 20歳になったイリヤ・ピョートルヴィチは自らの専門を外科医にすることに決めた。一度読んだ本はほとんど忘れることがないほどの記憶力を持つ天才は、何の専門家にでもなれた――努力家のウラディミール・ピョートルヴィチは父の後を追うように内科医となって既に宮廷のなかで働き始めていたが、まだ学生の時分からイリヤ・ピョートルヴィチは兄と対等の内科専門の医学的知識を有していたのだ。どの専門を選ぶか、選択肢はいくらでもあった。
 彼が外科医(刃物を使い、血を見なければならない世界だ)となったのは、意外にも彼の音楽的才能と関係していた。鍵盤捌きが、外科手術に必要な手先の器用さを育ててくれたことはもちろんのことだが、ピアノは彼に集中力と一瞬の判断力を与えてくれていた――「君のメスの使い方には、まったく迷いがないね」。ある日の実習中(それは生きた犬の腹を切り、内臓の位置を確認するものだった)、自分より年上の医学生イリヤ・ピョートルヴィチの後ろから声をかけた。その瞬間に、イリヤ・ピョートルヴィチは、自分が何らかの生命に鋭利な刃物を向けているときと鍵盤の前に座り楽譜に書かれた音楽と対峙しているときとで同じ感覚に陥っていることに気がついた。
 「僕は、ベートーヴェンを蘇らせるようにして、患者の命を救えるのかもしれない」とイリヤ・ピョートルヴィチは思った。そして、その目論見は見事に当たっていた。医学院を卒業したのちに、彼はすぐさま「皇帝の外科医」として召抱えられ、数々の難手術を成功させた(彼がいれば、アレクサンドル2世も助かっただろう、とさえ評された)。そして、その殊勲を称えられ、皇帝から数々の勲章を授けられた。
 40歳になって、彼は異例の若さでペテルブルク医学院の学長へと就任する。その地位は、父であるピョートル・イリイッチから受け継いだものであったが、文句を言う者は誰もいなかった。兄、ウラディミール・ピョートルヴィチでさえも当然のこととしてそれを受け入れた。イリヤ・ピョートルヴィチの胸には、ニコライ2世の第3皇太子が、落馬し、瀕死の重症を負ったのを自らのメスで救った際に皇帝から送られた勲章が輝いていた。重たく、不自由に感じされるほどたくさんの勲章のひとつひとつがなぜ自分に与えられたのか。イリヤ・ピョートルヴィチは全ての勲章について記憶していた――例えば、左胸の右から2番目の銀製の勲章は、とある皇族の妻がひどい難産だったとき得たものだ。
 自分は幸福だ。考えられる全ての幸福を自分は手にしている。ヴィシネフスキー家の宿命は正しかった。イリヤ・ピョートルヴィチは、そう思った。ひどく忙しい日々が続くこともあったが、苦にならなかった。今では、美しい妻も息子(息子もまた、ヴィシネフスキー家の宿命に従うのだろう)もいる。いまだにピアノは弾いていて、皇帝の前でピアノを弾く名誉ある機会に恵まれることもある。なにも言うことはない。
 この華やかで豊かな日々が永遠に続けば良きますように、とイリヤ・ピョートルヴィチは毎朝寝室に飾られたイコンの前に跪いて祈りを捧げた(彼は、熱心な正教徒だったのだ)。しかし、グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチンという男が宮廷にあらわれたときから、イリヤ・ピョートルヴィチの人生は大きく揺れ動きはじめるのだった。

19

 山之内先生の告別式の日は、朝から雨が降っていた。この地方で、夏の雨ほど嫌なものはない――室内の床に水溜りができるほど、湿気を含んだ空気がやってくるだけで、雨が降っても気温は晴れの日と変わらないぐらいに高いのだ。汗と湿気でシャツの袖がねばねばと腕に絡みつくような感じがし、出かける前からひどく重たい気持ちになった。本来ならば慣例として僕なんかが出席する必要はなかったのに。「第一発見者」になったせいで、こんな不快な目にあっている。式の間はずっと誰かに八つ当たりしたくなるような気分だった。
 山之内先生の父と母、そして妹の泣き腫らした悲痛な面持ち。あけられることの無い棺の前で泣き崩れ、焼香もまともに出来なかった山之内先生の友人(学生時代の友人だろうか?)。彼らの姿を見ても、共感できるとか一緒になって泣けるといったことは一切無く、心が重くなるだけで早く式が終わってくれることばかり考えてしまう――出棺が終わったときに、ほっとため息が出たのはそのせいだった。早くこの重苦しい礼服を脱いでしまいたい、と僕は思った。早々と会場を後にしたかった。
 しかし、山之内先生の妹がそうさせてくれなかった。
「あの……第一発見者だった館内先生って……」
 傘を差して霊柩車の行った方向を眺める参列者たちに背を向けて歩き始めた途端に、僕はそう呼び止められた。姉とは似ていない妹。きっと、彼女は山之内先生の母と義父との間に生まれたこどもだったのだろう。ヒールを履けば僕よりも背が高くなった先生の背の高さは、彼女に引き継がれておらず、涙で化粧の崩れた顔は僕の胸あたりの位置にあった。
「この度は……どうもご愁傷さまでした」と僕は改めて形式的な挨拶を彼女に返した。
「少しお話をうかがっても大丈夫ですか?」

 こうして僕は山之内先生の実家の玄関で再び靴を脱ぐ羽目になった。彼女は二階にある部屋に案内した。「ここ、姉の部屋なんです」と彼女は言う――若い女性が好みそうな女性作家の小説がいくつかと一緒に、中学理科の参考書や内容の想像がまったくできない理系の専門書が並んだ本棚を見て、それは予想できた。部屋の中には、先生がいつもつけていた香水の甘い香りがまだ残っていた(それで、また僕の気分は重くなった)。クリーム色のカーテンと、濃い色をした木目のキャビネットとデスク。雑誌で見るような感じにまとめられた小奇麗な部屋は、山之内先生のイメージにぴったりだったのだがそこには何の感動もなかった。
「似てないでしょう、私たちって」
 彼女はデスクの上にあった写真立てを手にとって話を始めた。写真には、シンガポールマーライオンの前でピースサインをする山之内先生が写っていた。
「でも、私たち姉妹ってこう見えてすごく仲良かったんですよ。血も半分しか繋がっていなかったし、顔も性格も学校の成績も全然違かったのに。普通、姉がああだと嫌な思いをたくさんして妹は卑屈になったりすると思うんですけど、姉はそんな経験を全然させてくれなかったんです。
 いつも、私のことを姉は守ってくれました。姉は面倒見も良くて。アクセサリだとか、洋服だとか、化粧品だとか、よく私に買ってくれたりして。綺麗な顔しているせいか『怖い人だと思われる』って姉は愚痴ってたんですけど、あんなに優しい人はいないと思ってました。
 そんな姉のこと、私は大好きでした。そう思っていたのは、もちろん私だけじゃなくて父も母も同じ気持ちだったと思います。だから、なおさらショックも大きいのわかりますよね?みんな、姉があんな風に死ぬなんて、いまだに信じられないんですよ」
 僕は無言で頷いた。
「うまく気持ちの整理ができないんです。とくに姉が何で死ななきゃいけないのか、ってずっと考えてしまうんです。警察の人は『事故だ』って言ってました。でも、理科の実験の準備で人が死ぬことなんてあるんですかね?
 警察の人は遺体も見せてくれませんでした。なにか隠してるみたいな感じなんですよ。姉の遺体が運び込まれたときには、すでに立派な棺に入っていて。そんなことを普通警察の人がしてくれるのもおかしいと思うんです」
「あの……じゃあ、ご家族の方は皆さん、見られてないんですか?」
 次第に声を大きくする彼女に、僕はそう口を挟んだ。「なにか隠してる」――彼女の疑いを刺激しないように、できるだけ冷静な声で言おうと心がけたつもりだったのだが、出てきた声は少し上ずってしまっていた。しかし、あの遺体を見せられたら、誰も事故だなんて信じられないだろう。
 僕の問い掛けに首を縦に振った彼女の目には、また涙が浮かんでいた。
「だから、余計に複雑な気持ちになるのかもしれません。だって、信じられますか?死んでる姿も見せられてないのに『事故で亡くなりました。事故原因は現在調査中です。遺体は損傷が激しくなっているので、見ないほうが良いでしょう』なんて言われて、受け入れることなんてできるわけないじゃないですか!
 私たちは、一生懸命警察の人にお願いしました。一目で良いから見せてくれ、って。でも、絶対に見せてくれないんです。母なんか泣きながらお願いしたのに、ダメだ、やめたほうが良いの一点張りです。おかしいですよね。あっちは、私たちの気持ちを考えたつもりだったのかもしれませんけれど、まるで間逆です。結局、私たちは姉の最後の姿を見られないままになってしまいました。
 館内先生は見たんですよね?」
「ええ……」と僕は言った。
「どんなだったんですか?新聞にも事故の状況なんか一切書いてありませんし、警察の人も教えてくれません。私たち、ホントに何も知らないんです。姉の直接の死因が心臓の破裂だった、といわれたぐらいで。
 お時間をとらせてしまって申し訳ないんですけれど、もしよろしかったら私たちの前で姉がどういう風に倒れていたのかとか話していただけませんか……?第一、本当に事故だったんですか?事故だったように見えましたか?」
「申し訳ないんですが……たしかに見てはいるんです。僕もショックで実はよく覚えてないんです……だから、期待にこたえることはできないと思います。本当に何もお伝えできることはないと思います……」と言って僕は頭を下げた。今度はまともな声が出た。もちろん、これは嘘だ。山之内先生が倒れている姿は、すぐにでも吐き気を催すぐらい鮮やかで陰惨な記憶として頭に刻み込まれている。血液の臭い、飛び散ったガラスの破片、紫に変色した肌の色、絶望的に歪んだ表情――僕はスラスラと彼女に伝えることができた。しかし、そうすれば今以上に面倒くさいことに巻き込まれてしまうだろう。自分の身を守るために嘘をついたのはほとんど反射的だった。
 それにしても「心臓の破裂」だって?警察ももうちょっとマシな嘘をついてくれよ、と僕は思った。怪しまれるのは当然だろう。
 僕の言葉を受けて、彼女は俯いて黙っていた。顔は見えないが、小刻みに肩が震える肩の動きで涙を流していることは分かった。可哀想だけれど、でも、仕方がないのだ――僕はそう思いながら、彼女が顔をあげて僕を帰してくれるのを待っていた。
 彼女はしばらく泣き止まなかった。それどころか、次第に嗚咽は大きくなっていき、首筋がどんどん紅潮していくのが見えるぐらい彼女の泣き方は激しく変化していった。
「帰ってください……」と彼女は俯いたまま言った。
「……何も伝えられないなんて……そんなこと言われても信用できません……警察に口止めされてるとしか思えません……ホントにひどい………でも…これで確信しました………みんな嘘をついてる………事故じゃない何かが起こったんだって」

18

 太郎は自分が無線兵に任命されたことに戸惑いを見せた。なにしろ、彼が生まれた土地は、無線のような精密機械はおろか自動車だって見ることのできない田舎だったからだ。辛うじて文字が読めるほどにしか学もない自分がなぜこんな機械仕事をさせられるのだろう、と太郎は首を傾げながら日々を過ごした。しかし、1ヶ月、2ヶ月過ぎて彼はこの人員配置が自分に適したものだったと思うようになった。彼の薄い体が、零下30度を下回る極寒の屋外でおこなわれる訓練に耐えられるはずがない――それに自分で気がついた頃には、目が覚めると、鼻の下にうっすらと霜がおりてくるような大気の厳しさが太郎の回りを覆っていたのだった。
 太郎の処遇をそのように取り計らってくれたのは、沢登という軍曹だった――実のところ、腰にいかめしいサーベルをぶらさげ威張り散らすだけの無能な将校の代わりに、第八方面部隊の全体を仕切っていたのはこの男だった。叩き上げの職業軍人である彼は、太郎の姿を一目見た途端に「この男は、この土地には耐えられないだろう」と判断し、すぐに名ばかりの指揮官に通信兵として太郎を使うことを進言したのである。太郎はそのことをなんとなく推し量っていた。特別ありがたいとも思っていなかったが、それから太郎は沢登に対して少なからず好意を持つようになった。
 しかし、沢登の方から太郎に対して好意を示すようなところは一切見られなかった。彼が太郎を通信兵として使うようにしたのも単なる職業意識からであり、心配からではなかったのだ。足手まといになるような男は、最初から足手まといにならないようなところにいてもらったほうが良い。沢登の適切な判断は、そのようなところから生まれていた。
 実際、第八方面部隊のなかで彼ほど冷徹な人間はいなかっただろう――部隊でも一番に軍属の期間が長く、実戦経験も豊富で、多くの敵兵の命を奪ってきた優秀な軍人であったことは、誰もが知っていることがらだった。無能な将校は、彼のような人物が部下として配属されていることで、いつも居心地が悪い思いをしていたぐらいだった。しかし、将校は誰に対してその不満をぶつけて良いのかわからなかったし、ましてや沢登に直接言うことなどできようもなかった。
 味方に沢登がいたことは心強かったかもしれないが、逆に恐怖を呼び起こすことも度々あった。なかでも部隊の人間を恐れさせたのは、第八方面部隊がチャムスの町に拠点を構える際に、町唯一の宿屋を接収しようとしたときのことだ。当時、中年の夫婦と彼らの娘によってその宿屋は経営されていた。いきなり日本の軍人が乗り込んできて、建物を譲り渡せと要求したのを、彼らがすんなりと受け入れたわけではない。通訳を挟んだ将校と宿屋の主人の間で、交渉は難航した(というのも、主人の言葉はあまりに北方訛りが強すぎたため、通訳がほとんど訳に立たなかったのだ)。
 主人の後ろでは、彼の妻がじっと通訳をにらみつけ、娘はその後ろの壁に寄りかかりながら事態がどう進展するかを心配そうに見つめていた。将校の側でも、主人の側でもどちらかが折れようという気配は無かった――前者はこの小さな町で使えそうな建物はここしかなかったと思っていたし、後者は20年近くに渡って続けてきた生業をおいそれと手放すわけにはいかなかった。しかし、言葉すらろくに通じないその状況は、お互いのやる気を削ぐのには充分な条件を備えていた。
 その泥沼にケリをつけたのが、沢登だったのである。
 そこまで沈黙を守っていた彼は、通訳の顔に浮かんだ濃い疲労の色を認めるやいなや、通訳を押しのけるようにして主人の目の前に立ち、主人の顎に拳銃を突きつけた。主人が肌に触れる銃口の冷たさを感じたのは一瞬のことだった――周囲に驚く時間も与えず、沢登は引き金を引いていた(そこには躊躇いは一切無かった)。彼が中国の馬賊から奪ったモーゼルから至近距離で発射された銃弾は、顎の先から頭蓋に入り込み、中身をたっぷりと掻き回したあと、見事に頭頂を貫いて主人を絶命させた。
 女将の顔は、主人の頭から吹き出た血液と脳漿が混じった赤黒い液体で染まり、将校の顔は一瞬で病人のような色になった。あまりに突然の出来事だったため、女将が叫び声をあげようとしたのは室内に銃声が響き渡ってからしばらくしてからだった。
 しかし、沢登は容赦をしなかった。女将がわけのわからない言葉を喚きたてる前に、大きく開かれた彼女の口に向かって2発目の銃弾を発射していたのである――今度の弾は、女将の後頭部から抜け出て壁に大きな穴を開けた。
 通訳と宿屋の娘はすでに気を失い、あとは血溜りのなかに2体の死体が転がっているその惨状下で立っていられたのは、もはや将校と沢登だけだった。
 「どうです?うまく話がまとまったでしょう」と沢登は将校の方を振り返って言った。彼の言葉に将校は辛うじて頷いたが、沢登と視線を合わせることができなかった。そうすれば、余計誇りに傷がつきそうな気がしたのである。合わせることのできない視線のなかに、将校は沢登の侮蔑を感じ取っていた――「腰に下げたサーベルは、単なる飾り物か?」

17

 建物のなかで明かりになるものといったら、ガラスが全部割れちまってる窓から入ってくる月の光ぐらいのものだった。こんなに暗くちゃ、ジェネシスの肌の色は闇のなかに溶け込んじまって見えるはずがない――俺たちが暗視スコープを装備してたのは、自然な成り行きだった。視界が悪くなっちまうが、仕方ない。大体、俺は鳥目みたいなんだよな。だから余計に夜警なんかくそったれだって思っちまうのさ。
 だが、スコープ越しの狭い世界はあんまり景気が良いものじゃなかった。どうやら建物は元々学校だったらしい。長い廊下があって、奥には上のフロアに続く階段が見えた。おそらく、まだ学校だった頃はこどもがここを走り回ったりしてたんだろう。でも、そいつらは吹き飛んだガラスの破片やら石ころやらに置き換わっちまっていた。教室のどこかか、大きく出っ張った柱の影にジェネシスがいるかもしれない。どちらにせよ、あまり長いはしたくなかった。階段を上るなんか、もっての他だ。そこにいるのはジェネシスじゃなくて、くそったれイラク野郎かもしれないしな。
「なんだか不吉な感じがするよ」
 もう死んじまって名前も思い出せないヤツが震える声で言った。正直俺もぶるっちまってたし、酔いも醒めてたんで答える余裕がなかった。外からはたまに身内の輸送トラックが鳴らすクラクションの音が聞こえた。それが不安を紛らわしてくれた……なんてことはない。
 幸い、銃声はまだ聞こえてこなかった。酔っ払っていたにせよ、ジェネシスもひとりでおっぱじめようってとこまでは狂ってなかったらしい。あのくそったれ野郎、まだこの辺にいるんじゃないか、見つけたら一発ぶん殴って、さっさと外に出ちまおう、そしたら応援が来るまでまって、それからまたどうするか考えよう。俺はそう思った。
 ちょうどそのときだ。柱の影から、柱の影へ、低い姿勢で移動する人間の姿が見えた。それで俺はちょっとだけ安心出来たんだ。あのアメリカ陸軍式の構え――移動中でもなるだけ隙を作らない、いつでもM16をぶっ放せるんだぜ、っていう訓練された歩き方だ――は間違いなく、イラク民兵なんかのものじゃない。
ジェネシス!」と俺はその影に向かって呼びかけた。
 相手は俺の声に気づいたらしく、柱の影から体を半分乗り出すようにしてこちらをうかがっていた。確認しなくても、ジェネシスなんて罰当たりな呼びかけをするやつが仲間以外のどこにいるんだ?って感じだったが、ヤツもそうとう怖気づいてたらしい。酔っ払った勢いで無謀な行動に出るからだ。良い気味だ。
「来るのがおせぇよ!」とジェネシスは応えた。そして、ヤツは柱の影から一歩足を踏み出した。
 ビスビスビス……チュンチュンチュン――不気味な音が聞こえたのはジェネシスがこちらに向かって歩き出そうするのとほぼ同時だった。そいつは訓練ビデオで見せられた、サイレンサーAK47の発射音と銃弾がコンクリートの壁にめり込んでいく音だ。「危ない!」なんて声が間に合うはずがない。現に、死んじまって名前も思い出せないヤツがマヌケな声で「ジェネシス!敵だ!」と叫んだのは、人が床に倒れるドサッという音がした後だったんだ。もちろん、俺たちはジェネシスのところまで駆け寄ったりしなかった。そんなことしたら、タダの的同然になっちまうもんな。当たり前のように、柱の影に隠れさせてもらったよ。
 ジェネシスが撃たれて、俺は状況のマジなヤバさを感じ取った。まったく、あんなに血の気が引くような思いをしたのは、イラクに来てからたった一度きりだったぜ。こっちには相手が何人いるのかわからねぇ。でも、相手には俺たち夜警チームが3人組で行動してるのは分かってる。それで一層やばい気が増した。こっちには最新の装備がある。でも、相手がたくさんいたらジェネシスが撃たれたぐらいじゃすまねぇだろう。だいたい、どこから撃たれたのか、確認すらできてなかったんだ。どうする?どうすりゃ良いんだ?
 俺が迷ってるあいだ、耳にはジェネシスの呻き声がずっと入ってきた。「いでぇ……くそったれ……足が……ぐっ」。ジェネシスの野郎どうやら運良くまだ生き残ってるらしい。けど、状況は全然良くなってねぇ。一旦、建物の外に出るか……でも、そしたらヤツらはジェネシスを人質みたいに確保するに違いねぇ。ジェネシスにトドメを刺さねぇのには、それぐらいしか理由がねぇ。状況はさらに複雑になっちまうな……大体、応援はいつ来るんだ……。あんまり膠着状態が続いたら、ジェネシスの出欠も心配だ……。クールになった俺の頭ん中で、これ以上ないぐらいのスピードでいろんな考えが忙しく働いていた。
 名前が思い出せないヤツのほうを振り返ると、ガクガク震えてるばかりで役に立ちそうになかった。ガー。「こちら、応援のチーム・フォックス。建物の前に到着した。そちらの姿が見えないが。状況を説明せよ」――通信機が鳴ったのは、死にたくなるほど途方に暮れだしてすぐだった。俺はそこで、応答ボタンを押す代わり、M16をフルオートで目一杯連射しまくった。敵の姿はどこにいるかわからねぇが、とにかく訓練でやったらブン殴られるほどに俺は引き金を引きっぱなしにしていた。
 工事現場の作業音のような音が建物のなかに響いた。コイツが外に聞こえないはずがない。口で事情を説明するより、こうやって音を聞かせてやれば、外の連中も四の五の言わず急いで突っ込んでくるだろ、と俺は思ったんだ。で、その考えは見事に的中した。応援部隊が何人いたか正確には思い出せねぇが、とにかくたくさんの頼もしい足跡がガツガツと聞こえた。相手のほうにもそれがわかったらしい。階段をかけのぼっていく足音もすぐに聞こえてきた。
 こうなれば、もうこっちのもんだった。建物のなかにいる敵は応援にまかせて、俺たちはジェネシスを外に運び出した。ヤツは血を流しすぎたせいでほとんど意識がなくなっちまってたが、死ぬほどのケガってほどでもなさそうだった(足をライフルの弾が貫通したせいで、大腿骨が砕けちまっていたらしい)。そしてジェネシスは、外についていた救急用の軍用車に乗せられていった。それから、建物のなかからスタングレネードの閃光と爆音、そして短い銃声が響いた。
 「何人でした?」と俺は建物から出てきた野郎に尋ねた。
 「6人だ。全員射殺した。でも、銃を持ってたのは1人だけだったよ」と野郎は言った。

16

 酷く蒸し暑かったあの昼休みの出来事があってから、刑事の言葉は僕の頭のなかをぐるぐると回り続け、僕はとても煩わしいような気持ちを抱きながら生活しなくてはいけなかった。あのとき手渡された如何わしい液体の入ったプラスティック容器は、くたびれたスラックスのポケットのなかに入りっぱなしで部屋の隅っこに脱ぎ捨てられたまま、もう2晩も過ぎている。その間に、あれをさっさと処分してしまうこともできたのだし、あるいは自分から警察署に電話をかけて刑事を呼び出し話を進めることだってできたはずだ。
 でも、僕はそのどちらも、というよりも何の行動もとらなかった。代わりに僕がやったことといえば、普段の通りに学校に行き、授業と書類の整理を黙々とこなし、校長や教頭らと一緒に山之内先生の葬儀に出席したことだけだった。同僚と同じように、事件にまったく関係ない人間だ、というふりをし続けていれば、そのままやりすごせるんじゃないかと、楽観的に構えていたのだ。
 しかし今になってみると、僕の思惑とは別に、自分の身に降りかかってくるさまざまな煩わしさは雪だるま式に大きくなっていくように感じる。
 通夜があった晩――その日まで僕は山之内先生が御庭町で実家暮らしをしていたことを知らなかったのだが――まず驚いたのは遺族である両親と彼女の妹が、死んだ山之内先生とはまったく似ていなかったことだ。通夜の場で、そんな印象を抱いたのはとても不謹慎な事柄だと思う。
 しかし、そう感じたのは僕だけじゃなかった――校長などは、誰が遺族であるのか検討もつかず、挨拶する相手を探してうろたえるばかりだったし、「妹さん、全然似てないですね」と仙波先生は僕に耳打ちした。最終的に校長がその場で一番美人だった女性に挨拶をしたのだが、それは告別式の打ち合わせにきていた葬儀屋の人だった。
 それぐらい彼らの顔には、山之内先生の痕跡らしきものが一切存在していなかったのだ。山之内先生のマネキンのように整った鼻梁の代わりに、山之内先生の母親は泥団子のようなものを備えていたし、父親の唇は山之内先生の薄くて上品な唇とはまるで別物だった(父親のそれは、気味の悪い2匹の芋虫が蠢いているみたいだった)。悪意のある魔法使いによって痕跡が無理やりに剥ぎ取られ、後には無残な廃墟だけが残った――そんな印象を僕は抱いた。同僚もおそらく似たようなものだったろうと思う。
 空けられることのない棺と、顔の似ていない遺族。それらは、山之内先生の不在をより一層強く感じさせる。棺のなかにいる山之内先生は、きっと僕が最後に見たままの表情だったろう。なにかの記念写真から引き伸ばされた粒子の粗い遺影のなかで、山之内先生が浮かべる笑顔は空虚なものにも思えた。
「どうやったら、あの両親からあんなに綺麗な人が生まれたんでしょうね」
 仙波先生は僕に再び、そう耳打ちする。その言葉からは、山之内先生を最後までモノに出来なかった男の口惜しさのようなものも滲み出ていた。
 「恵理子は……私の本当の、血の繋がった娘ではありませんでした……」と込み上げてくる嗚咽を堪えながら途切れ途切れに父親は言った(この言葉に僕らが納得させられるものを感じたのは言うまでもない)。

15

 本土を離れてチャムスに着くまでの半月以上の日々は、太郎にとってそれまででもっとも長い旅になった。その間に太郎は、目にしたことがなかったものをいくつも見た。旅の中継地点となった名も知らぬ占領下の町で観た建物は、本土にある木造の家屋とはまるで違っていた(壁の色は北上するごとに色あせていくように思えた)。食事に出される野菜はどれも本土で取れるものより大ぶりで、味はなんとなく薄く感じられる。市場にいくと知らない川魚の干物が売られていた。ハルビンで迎えてくれた部隊の伍長に無理やり連れて行かれた慰安所で太郎は初めて女を知った。
 しかし、どれも太郎の心を揺らしてはくれなかった。夜毎慰安所や酒場に繰り出す他の男たちはカタコトの日本語を話す大陸の女や、大陸の祭楽隊が演奏する日本の民謡に歓びを感じた。自分の顔ほどもある大きなカブには無邪気に驚いて見せた。ラビャスリと呼ばれる川魚の干物は、少し炙って食べると酒の肴にはぴったりだった。なにより、皆大陸の開放感に浸りきっていたのだ。彼らにとって戦争は、単なる殺し合いではなかった。彼ら――とくに貧しい農村出身の次男坊たちだったが――は、大陸に対して夢を抱きながら海を渡ってきた。太郎だけが違ったのだ。
 太郎の相手をした少女の、あばら骨が浮いた胸や扱けた頬は、ますます重い気持ちにさせられた。ぼそぼそとするばかりで土の味がまったくしないダイコンを、かみ続けるとどんどん虚ろな気持ちになった。干物を売る煤けた顔の老婆は、死んだ祖母のことを思い起こさせた――「ああ!懐かしき御庭の風景よ!!」。ひどく色の濃い染みのように、太郎の心には御庭町の記憶がこびりついていた。
 本土を出る前に、上官は「大陸での移動の途中、もしかしたら野戦になるかもしれん。気を抜くな。田舎に反乱をもくろむ輩がうようよしてるというからな」と太郎に伝えた。しかし、そんな危険な気配はどこにも感じられなかった。この穏やかさも、太郎を暗い気持ちにさせた。チャムスに着いた日の朝、太郎は「この土地で自分は死ぬのかもしれない、ここに延々と留まることになるのかもしれない」と思った。戦争が終わるか、戦争で死ぬか。そうでもなければ、本土には、御庭町には帰れまい。しかし、戦争が終わる気配は一切なかった(そもそも太郎にはまだ戦争が、はじまっている実感さえなかったのだ)。
 死んで、骨になるまで帰れないだろう。いや、骨さえも本土に運んではくれないかもしれない。そうなれば、煙になるしかない。煙になれば、大陸と本土を隔てる海を吹く風が、自分を国まで運んでくれるだろう――チャムスに駐留する第八方面部隊の小隊長が、太郎たちを迎える訓示をたれている間、太郎はそんなことを考えた。「諸君らは……」、「天皇陛下が……」、「重要な戦略的拠点であるこのチャムスが……」、「満州国の恒久的な安定を……」。長々と言葉を続ける将校の演説は、この後の終わりそうのない平穏な日々を予兆するかのようだった。
 その日、この部隊についての説明が一通り済んだ後、新人兵士たちには新式の小銃が一丁ずつ手渡されることになっていた。将校がひとりひとりの名前を読み上げ、若い兵士が前に出て、重たい小銃を受け渡される儀式的な光景を目にしながら太郎は「自分がこんな立派な人殺しの道具を使う日がくるんだろうか」と思った。真新しい小銃を手にした新兵たちはみな顔を見合わせて、玩具を与えられたこどものような表情を浮かべている。しかし、太郎にはそんな彼らの気持ちはちっとも理解できなかった。不思議だったのは、いつまで経っても自分の名前が読み上げられないことだった。
 最後に太郎の名前が呼ばれたとき、彼に手渡されたのは小銃ではなく、一丁の古ぼけた拳銃と汚れた一冊の本だった――茶色くなった表紙に「八式無線機使用覚書」と書かれているのが辛うじて読めた。
 自分が置かれた状況を飲めこめずにいた太郎に、将校は「小笠原二等兵!貴様には明日から無線兵として働いてもらう」と力強く言った。