17

 建物のなかで明かりになるものといったら、ガラスが全部割れちまってる窓から入ってくる月の光ぐらいのものだった。こんなに暗くちゃ、ジェネシスの肌の色は闇のなかに溶け込んじまって見えるはずがない――俺たちが暗視スコープを装備してたのは、自然な成り行きだった。視界が悪くなっちまうが、仕方ない。大体、俺は鳥目みたいなんだよな。だから余計に夜警なんかくそったれだって思っちまうのさ。
 だが、スコープ越しの狭い世界はあんまり景気が良いものじゃなかった。どうやら建物は元々学校だったらしい。長い廊下があって、奥には上のフロアに続く階段が見えた。おそらく、まだ学校だった頃はこどもがここを走り回ったりしてたんだろう。でも、そいつらは吹き飛んだガラスの破片やら石ころやらに置き換わっちまっていた。教室のどこかか、大きく出っ張った柱の影にジェネシスがいるかもしれない。どちらにせよ、あまり長いはしたくなかった。階段を上るなんか、もっての他だ。そこにいるのはジェネシスじゃなくて、くそったれイラク野郎かもしれないしな。
「なんだか不吉な感じがするよ」
 もう死んじまって名前も思い出せないヤツが震える声で言った。正直俺もぶるっちまってたし、酔いも醒めてたんで答える余裕がなかった。外からはたまに身内の輸送トラックが鳴らすクラクションの音が聞こえた。それが不安を紛らわしてくれた……なんてことはない。
 幸い、銃声はまだ聞こえてこなかった。酔っ払っていたにせよ、ジェネシスもひとりでおっぱじめようってとこまでは狂ってなかったらしい。あのくそったれ野郎、まだこの辺にいるんじゃないか、見つけたら一発ぶん殴って、さっさと外に出ちまおう、そしたら応援が来るまでまって、それからまたどうするか考えよう。俺はそう思った。
 ちょうどそのときだ。柱の影から、柱の影へ、低い姿勢で移動する人間の姿が見えた。それで俺はちょっとだけ安心出来たんだ。あのアメリカ陸軍式の構え――移動中でもなるだけ隙を作らない、いつでもM16をぶっ放せるんだぜ、っていう訓練された歩き方だ――は間違いなく、イラク民兵なんかのものじゃない。
ジェネシス!」と俺はその影に向かって呼びかけた。
 相手は俺の声に気づいたらしく、柱の影から体を半分乗り出すようにしてこちらをうかがっていた。確認しなくても、ジェネシスなんて罰当たりな呼びかけをするやつが仲間以外のどこにいるんだ?って感じだったが、ヤツもそうとう怖気づいてたらしい。酔っ払った勢いで無謀な行動に出るからだ。良い気味だ。
「来るのがおせぇよ!」とジェネシスは応えた。そして、ヤツは柱の影から一歩足を踏み出した。
 ビスビスビス……チュンチュンチュン――不気味な音が聞こえたのはジェネシスがこちらに向かって歩き出そうするのとほぼ同時だった。そいつは訓練ビデオで見せられた、サイレンサーAK47の発射音と銃弾がコンクリートの壁にめり込んでいく音だ。「危ない!」なんて声が間に合うはずがない。現に、死んじまって名前も思い出せないヤツがマヌケな声で「ジェネシス!敵だ!」と叫んだのは、人が床に倒れるドサッという音がした後だったんだ。もちろん、俺たちはジェネシスのところまで駆け寄ったりしなかった。そんなことしたら、タダの的同然になっちまうもんな。当たり前のように、柱の影に隠れさせてもらったよ。
 ジェネシスが撃たれて、俺は状況のマジなヤバさを感じ取った。まったく、あんなに血の気が引くような思いをしたのは、イラクに来てからたった一度きりだったぜ。こっちには相手が何人いるのかわからねぇ。でも、相手には俺たち夜警チームが3人組で行動してるのは分かってる。それで一層やばい気が増した。こっちには最新の装備がある。でも、相手がたくさんいたらジェネシスが撃たれたぐらいじゃすまねぇだろう。だいたい、どこから撃たれたのか、確認すらできてなかったんだ。どうする?どうすりゃ良いんだ?
 俺が迷ってるあいだ、耳にはジェネシスの呻き声がずっと入ってきた。「いでぇ……くそったれ……足が……ぐっ」。ジェネシスの野郎どうやら運良くまだ生き残ってるらしい。けど、状況は全然良くなってねぇ。一旦、建物の外に出るか……でも、そしたらヤツらはジェネシスを人質みたいに確保するに違いねぇ。ジェネシスにトドメを刺さねぇのには、それぐらいしか理由がねぇ。状況はさらに複雑になっちまうな……大体、応援はいつ来るんだ……。あんまり膠着状態が続いたら、ジェネシスの出欠も心配だ……。クールになった俺の頭ん中で、これ以上ないぐらいのスピードでいろんな考えが忙しく働いていた。
 名前が思い出せないヤツのほうを振り返ると、ガクガク震えてるばかりで役に立ちそうになかった。ガー。「こちら、応援のチーム・フォックス。建物の前に到着した。そちらの姿が見えないが。状況を説明せよ」――通信機が鳴ったのは、死にたくなるほど途方に暮れだしてすぐだった。俺はそこで、応答ボタンを押す代わり、M16をフルオートで目一杯連射しまくった。敵の姿はどこにいるかわからねぇが、とにかく訓練でやったらブン殴られるほどに俺は引き金を引きっぱなしにしていた。
 工事現場の作業音のような音が建物のなかに響いた。コイツが外に聞こえないはずがない。口で事情を説明するより、こうやって音を聞かせてやれば、外の連中も四の五の言わず急いで突っ込んでくるだろ、と俺は思ったんだ。で、その考えは見事に的中した。応援部隊が何人いたか正確には思い出せねぇが、とにかくたくさんの頼もしい足跡がガツガツと聞こえた。相手のほうにもそれがわかったらしい。階段をかけのぼっていく足音もすぐに聞こえてきた。
 こうなれば、もうこっちのもんだった。建物のなかにいる敵は応援にまかせて、俺たちはジェネシスを外に運び出した。ヤツは血を流しすぎたせいでほとんど意識がなくなっちまってたが、死ぬほどのケガってほどでもなさそうだった(足をライフルの弾が貫通したせいで、大腿骨が砕けちまっていたらしい)。そしてジェネシスは、外についていた救急用の軍用車に乗せられていった。それから、建物のなかからスタングレネードの閃光と爆音、そして短い銃声が響いた。
 「何人でした?」と俺は建物から出てきた野郎に尋ねた。
 「6人だ。全員射殺した。でも、銃を持ってたのは1人だけだったよ」と野郎は言った。