リツ

 犬塚リツが大戦後まもなくアメリカに渡ったのは、夢を追うために他ならなかった。横浜の長津田に漢学者の家の一人娘として生まれた彼女は、大戦中は田奈にあった弾薬貯蔵施設で働いていた。終戦時、18歳。彼女が働いていた施設は進駐軍によって接収されたが、そのまま彼女は施設で働き続けることを許された。彼女はそこで英語とタイプライターの技術を学んだ。彼女がそのような環境に恵まれたのは、彼女が若く美しかったからだ。その美貌は、進駐軍の若い兵士の目にも魅力的に映った。学のある兵士たちのなかには、「絹のように輝く黒い髪……」、「近づくとお茶のようなよい香りが……」などと自分が知っている日本の名産品と彼女の魅力を結びつけた詩を手帳にしたためる者もあった。リツの父、犬塚聡明は大戦中、愛国的儒家を標榜する思想家として安岡正篤などと行動をともにしていたが、安岡の公職追放と彼が設立した学校などがすべて解散させられると、ほとんど無職状態となっており、犬塚家の家計はリツによって支えられていた。もちろん、聡明は娘が進駐軍の膝元で金を稼ぎ、そしてその金で自分も生活しているなどという状況を内心快く思っているはずがなく、この頃からリツと聡明はしばしば衝突するようになった。家には、リツの母であり、聡明の妻であった犬塚テイの存在があったけれども、旧華族の家に生まれ、家の言うがままに聡明の下に嫁いできたテイが間に入って衝突を仲裁することなど思いつくはずもなく、父娘のいさかいは日に日に酷くなっていった。リツが映画と出会ったのも、父と激しい口論をし、とうとう家を飛び出した晩のことだった。彼女が街頭の少ない暗い道を当て所もなく歩いていると、進駐軍の兵士を相手にした屋台で賑わっているところに出くわした。一斗缶のなかで廃材が激しく燃え、その火があたりを照らし、日本人の演奏家たちが洋楽を奏でていた。背が高く、目の青い若者たちに酒をだしているのも、皆、日本人たちであり、そのなかには、リツの知った顔もあった。ついこの間までは、暗い顔をして怯えていた人たちがいまではこうして逞しく商売をしていることに彼女は安心し、同時にそれはむしゃくしゃとしていた気持ちをなだめてくれた。その晩、そこには移動映画館のテント小屋ができていた。彼女はそのテント小屋に不思議な引力を感じ、代金を払って入場した。テント内には、たくさんのアメリカ人兵士たちがいた。また、唇に派手な紅を塗った日本人娼婦が兵士の膝のうえにのり、くちづけの代わりに小銭をせびる姿もあった。日本人の女たちは、映画が始まるまでの間に、美しいがまるで生娘といった様子のリツを疎ましげに、そして遠慮なくじろじろと眺めていた。しばらくすると、小屋の中は暗くなり、そうしたまなざしはリツの元に届かなくなった。映画がはじまろうとしていた。