14

 イラクじゃ、誰もがうんざりしていた。街の中じゃ毎日銃声と女子供が泣き叫ぶ声が絶えなかったし、三日に一度はどこかからデカい爆発音が聞こえた。昨日の音は近かったな。また、自動車爆弾だったらしい。現場に出くわしたハワードの頭に、吹っ飛んできたバックミラーがぶち当たって、ヤツは一発で死んじまった。まったく、おっかねぇはなしだ。アイツはウィスコンシン出身だったけな。お袋さん、悲しむだろうな。
 今日はジェネシスの野郎から手紙が届いた。消印は日本になっている。オキナワともヨコスカとも書いていないが、どうやら噂どおりヤツは本当に日本で暮らしているらしい。「元気でやってる。そっちはどうだ?お前はたぶん国に帰れるよ、心配するな。俺はガールフレンドができた。日本の女は俺たちみたいなマッチョな男が好きみたいだ」だってよ。おめでたいヤツだ。こっちはまだまだうんざりする毎日だってのに。
 窓の外に目を向けると相変わらず、強風が粒子の細かい砂埃を舞い上げているが見えた。これもまたうんざりする原因のひとつだった。初めてこっちにきたとき、俺はこの砂埃のせいでコンタクトレンズをするのを諦めなきゃいけないはめになった。それで今かけてる支給品のメガネに変えたんだが、コイツをしてても30分に一回はレンズを拭いてやらなきゃ視界はゼロになっちまう。まぁ、見えていたところでイラク人の顔なんか見分けがつかないんだから意味は無い。とにかく、俺たちはこっちに銃を向けてるやつ、荷物のなかみを見せようとしないやつ、なんとなくムカつくやつに向けてライフルをぶっ放せば良かった。
 ジェネシスから届いた手紙をベッド上にほおると、俺は夜警に行く準備をしなきゃいけなかった。ヤツが除隊になるきっかけもこの夜警だった。
 半年前、ジェネシスと俺は同じ部隊にいて、同じ部屋のルームメイトだった。それで毎日同じスケジュールでバグダードの治安維持任務にあたっていたんだ。ヤツが「ジェネシス(創世記)」なんて罰あたりなあだ名で呼ばれていたのは、同じ部隊にもう一人、ピーター・ガブリエルという同姓同名の野郎がいたからなんだが、なんとも笑っちまうよな、ピーター・ガブリエルだぜ?イギリス人の貴族出身とか言うミュージシャンの名前だ。しかも、それが2人。ジェネシスは、そのミュージシャンが昔組んでたバンドの名前だった。
 ミュージシャンのピーター・ガブリエルと、白人のピーター・ガブリエル、そして黒人のピーター・ガブリエルがいて、ジェネシスと呼ばれてたのは何故か黒人のピーター・ガブリエルだった。なぜヤツが選ばれたか、理由はもう忘れちまった。「ユダヤ人でもないのに、ジェネシスなんか」と最初はヤツも嫌がっていたみたいだが、最終的にその名前には満足していたみたいだった。
 一方で、白人のピーター・ガブリエルは「スレッジハンマー」と呼ばれていた。興奮したときのヤツのペニスは、その名前に相応しかったが、残念ながらあだ名が定着する前に野郎は死んじまった。たしか、ご自慢のハンマーをイラク女相手に無理やり試してやろうとしたときに、袋叩きにあったんだっけな。死体から切り取られたシロモノが、土の壁にナイフで留められるのを見たジャーナリストがゲェゲェ吐いてやがった。
 あの夜、俺とジェネシスともう一人(名前は忘れた。コイツも死んだ)は、夜な夜なバグダードを徘徊しては自動車やら電話ボックスやらに爆弾をしかけてるヤツはいねぇかと見回りをしていた。街灯もなく、月明かりぐらいしか道を照らしてくれるものがないなかでやるこの仕事はみんなが嫌がるもののひとつだった。もちろん、このクソッタレ仕事の間に死ぬやつがゴマンといたからだ。いつ、どこから撃たれるか、わからねぇ。夜警の前には誰もがうんざりしていたし、おっかながった。だから、俺たちはいつも任務の前にしこたま酒を飲んで、恐怖を頭から抜いちまうことにしていた。もちろん、こんなことは許されちゃいない。ただ、上官も上官でうんざりしていたんで、黙認してくれてたんだな。
 しかし、その晩は3人とも飲みすぎてた。
 俺がイラク野郎が住んでる薄汚ねぇ建物の壁にションベンで「ファックしたい(I wanna fuck you)」と書こうとしている途中、後ろから死んだ一人から「怪しい人影が、そこの建物に入っていくのをみた」と声をかけられた。「ちょっと待てよ、今ゲージュツの途中なんだから」と俺は振り返りもせず答えたんだが、相手は「もうジェネシスが追っていっちまったんだ」なんて言いやがる。
 仕方なく、俺は「c」まで書いたところでゲージュツをやめて振り返った。死んだ野郎が指差しているのは、立ち入り禁止になってたはずの空きビルだった。窓ガラスが全部割れたその建物は、月明かりに照らされていかにも悪いヤツのアジトっていう不気味な感じがした。普段なら絶対立ち入りも近づきもしない場所だ(建物ごと吹っ飛ばされたら、一貫の終わりだろ?ガレキに埋もれた死体を捜すのだって一苦労だ)。
 「くそったれ!」
 ジェネシスの野郎、飲みすぎだぜ。普段なら無線を入れて応援を呼ぶはずだろ?まだ何かが起こったわけでもない、別に何もなかったことにすることだってできたはずだ――と俺は思った。でも、俺たちもジェネシスの野郎と同じぐらい酔っ払ってたんだな。野郎を見殺しにしても良かったんだ。だが、無線で応援を呼んですぐに、応援を待たずににふたりして建物のなかに入っちまった。

13

 「実はですね。山之内先生が殺される前の晩、山之内先生が男と一緒に街の繁華街を歩いてるのを目撃したっていう人がいるんですよ。
 しかも、その男っていうのが、日本人じゃない。ガイジン、それも黒人です。市街地でさえ、この辺じゃガイジンなんて珍しいですからね。綺麗な女性が黒人と一緒に歩いてたのなんて目立ったんでしょう」と刑事は言った。
「まさか、その黒人ってピーター先生だって言うんじゃ……」。
 刑事の言葉に促されるようにして僕の口から出たのは、僕と同じ時期に非常勤で採用された黒人のALT(外国人英語指導助手)の名前だった。週に1度しか学校に来ない彼のことなど事件があってから、すっかり忘れてしまっていたのだ。山之内先生が死んだ前の日は、彼の出勤日になっていた。しかし、ふたりで市街地に出て行ったのは特別怪しいことには思われなかった。もしかしたら、何か同じ用事があったのかもしれないし、僕の知らない間にふたりの間になにか関係があったのかもしれない(どちらにせよ、僕には関係なかったのだが)。
 「まぁ、まだ確実な裏はとれてないんですがね。でも、その可能性は高い。F県内にいる黒人で、山之内先生とつながる黒人なんか、彼ぐらいのものでしょう」と刑事は言った。
「それで小山さんは、彼を疑ってる、と」
「そういうことです」
 僕らが芝生の上に煙草の吸殻を捨て、靴でその火を揉み消したのはほぼ同時だった。刑事は、自分の意図が僕に伝わったのが満足だったらしく、彼の顔には再びいやらしいにやけ笑いが戻っていた。しかし、僕にはまだ、どうして彼がここに来て僕を誘い出すような真似をしたのかは掴みきれていなかった。
 「そういうことなら、さっさと逮捕してしまえば良いでしょう?なぜ、僕を遠まわしに呼び出すようなことをするんです?」と僕は言った。
「そこが難しいところなんですよ。さっきも言いましたが、小笠原仁海がこの事件になぜか絡んできている。そういうわけで大っぴらに動けないわけです。外国人が逮捕された。こうなれば、大使館とかそういった役所に話がいかないわけにはいかない。話が大きくなってしまう。
 それに現時点では彼が犯人だと確実には言い切れない。100%クロだ、と分かるまでは私も派手には動きたくない。その確証がとれたら、私もなんとかして動きます、一応刑事のメンツがありますからね、そんな凶悪犯野放しにはしておきたくありません。
 犯人を挙げてしまえば、もうこっちのものです。小笠原の圧力がかかっていたとしても、私と署長がどこかに飛ばされるぐらいで済むでしょう。それで済むなら、まぁ、良いでしょう。」
 僕は黙って刑事の話を聞いていた。刑事はまだ僕の2つ目の質問に答えていない。僕の沈黙は、そのことに対する抗議のつもりだった。それに、刑事の話はどうにも胡散臭く感じられた。こんな嫌らしい態度の刑事がそんな正義感を発揮するんだろうか?
 「そこでです」。刑事はそういってポケットのなかから、何かを取り出して僕に無理やり握らせた。手のひらを開くと、そこには小さなプラスティックの容器があり、容器の中には青い色をした液体が入っていた。
「先生には、確証を取るための手助けをしていただきたいんですよ。
 その容器の中にはいってるのは、言ってみればリトマス試験紙みたいなものです。髪の毛、爪、皮膚、汗、なんでもいいんですが、その液体にそういうものを浸すと、それが山之内先生の死体から見つかった精液と同じ遺伝子情報をもっているものだったら、反応して色が青から赤に変化する。そういう特殊な液体です。
 すごいものでしょう。ウチの科学捜査チーム――普段はコソ泥の指紋を分析したりする地味なヤツらなんですが――に一人バクチ狂のヤツがいましてね。優秀な男なんだが、いたるところに借金がある。これをネタにして無理やりソイツを作らせました。
 次に彼が学校にきたとき、こっそりコイツを試してみて欲しいんですよ」
 刑事はそう言い、そしてまたニヤリとした笑みを浮かべた。
「だから、どうして僕がそんなことをしなきゃいけないんです!僕には関係ないことじゃないか!!」と僕は堪らなくなって怒鳴り声をあげた(人に対して怒鳴ったのは、何年かぶりだった。僕はまだ生徒に対しても怒鳴ったことがなかったのだ)。
 「……そう言われると思いましたよ。でもね、実はあなたにも関係があるかもしれないんです」と刑事は言った。
「え?」
 思わず言葉が漏れた瞬間に、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。どういうことなのだろう?刑事の意外な一言で、僕は体を貫かれるような感じがした。
 「残念。時間になってしまいました。今日のところはこれでお暇しますよ。続きはまた今度にしましょう。今度は、もうちょっとゆっくり喋れると良いんですが……それでは」と刑事は言って、鋭い日差しのなかに出て行った。
 授業が始まっても、僕の頭の中はずっと混沌としているようだった。ポケットのなかには、刑事が手渡した不気味な液体が入ったままだった。それが一層、僕の気がかりを増大させたみたいだった。
 そのおかげで昼休み後に受け持った50分間で僕は、6回も生徒の名前を呼び間違えた。

12

 太郎を孤独のまま置き去りにするかのように、早々と訓練期間の半年は過ぎ、彼は陸軍第二総軍第八方面部隊――通称、満ソ境界領域警備隊――へと配属を命じられた。同じころに訓練所に入れられた若者たちが一同に集められ、次々に激戦地へ向かう命令を受けているなかで、太郎が受けたのはほぼ閑職と言っても良い部隊だった。
 太郎がそんなところに配属されたのは、周りが半年の間に野蛮な兵士に成長したのに、いつまでもヒョロヒョロとした青びょうたんのような優男のままだったからだろう。上官も半ばあきらめて「こんな男は、双眼鏡でも持たせて国境の見張りでもさせておくほかはない」と思ったのだ。「お前、得したな」。静まり返った訓練所の大教室で、太郎にいたずらっぽく囁いた――当時、誰もソビエトが日本に牙を向けることになろうとは想像していなかった。
 大陸へと向かう船に乗る前夜、太郎は御庭町に残された両親のもとに電報を打った。
 「アス チヨウセンへ ムカウ」――太郎の両親が受け取った電報には、そう書かれていたのだが、残念ながら父も母も字を読むことができなかった。意味を図ることができない電報の文字は、両親をひどく不安にさせた。太郎のもとに赤紙が来てから、彼らは文字を不吉なものだと思っているらしかった。
 「なんて書いであんだ?父ちゃん」、「オラにわがるわげねべ」――年老いた夫婦は何度も同じやりとりを繰り返した。ふたりが町長に電報を読んでもらえば良いことに気がついたのは、電報を受け取ってから丸1日経ってからだった。
「まあ、太郎さんも安泰だべ。たった一年で、ずいぶん陸軍は奥地のほうまで兵隊さ進めただ。日本が負けるわげね、だいじょぶだ」。
 電報を受け取った町長はそう言って太郎の父親の肩を叩いた。
 父親が安堵の息を漏らし、緊張が切れた母親が思わず涙を流しているとき、すでに太郎は日本海を渡る船の舳先で、自分がまもなく足を踏み入れる大陸の方向をじっと見据えていた。陸から吹いてくる風は、海上で感じたものとはまるで違っていて、複雑な香りがした――潮だけではなく、土や緑のにおいがその空気に含まれているのだろう、と太郎は思った。
 時折、強い風が吹くと肌寒い感じがし、既に訪れている大陸の秋を教えてくれた。まだ見ぬ陸地の秋風は、太郎に強く御庭町の秋を思い起こさせた。それは高畠から吹いてくる冷たい山風にどこか似ていたのである――その瞬間、キツネノハガクレやホトケノクシャミといった御庭町を取り囲んだ山林でしか取ることのできない珍しい形をした茸や、アケビモドキというアケビのような味がするのに、ミカンのように黄色で、果実はリンゴに良く似た不思議な果物から作られる酒についての記憶が太郎の脳裏に燃え盛る炎のように蘇った。

11

「実はですね、殺された山之内先生の死体を解剖した結果、膣内から微量ですが男性の体液――というとなんだか回りくどいですが、要するに精液です――が発見されました。館内先生が見てのとおり、山之内先生の死体にはビーカー……じゃなかったな、ええと……メスシリンダーです。メスシリンダーが突っ込まれていた。これで実は『あの部分』がぐちゃぐちゃになってましてね。膣内はもう血まみれでした。それで発見が遅れてしまったんですが……」
「小山さんはそれが犯人のものだと思っている……と」
「セオリー通りならそういうことになります。でも、今回の場合、少し事情が込み入っている。なにせ、小笠原仁海のおかげでこっちは派手に動けない状況です」
 「その精液が僕のものだと思っているんでしょう?」と僕は口を挟んだ。
「先生もなかなか疑りぶかい人ですね……もしかして、私なんかより刑事に向いてるんじゃないですか?」と言い、短くため息をついた。
 随分長い間、話している気がしたが時計を見るとまだ5分しか経っていなかった。約束した時間はまだ半分も残っている。常に駆け引きを強いられているような刑事との会話は、ひどくストレスがたまった――刑事がポケットからハイライトの袋を取り出したとき、思わず「一本くれませんか」とねだったほどだ。学校で働きはじめてから、しばらく煙草は止していたのだが、フィルターを深く吸ってゆっくりと煙を吐き出すと少し気持ちが和らいだ。しかし、不快な湿気と温度はは日陰の中でも体に堪える。
「これを言うつもりはなかったんですがね……館内先生についてはもうすでに調べてあるんですよ。一昨日の取調室に何本か先生の髪の毛が落ちていました。それで調べさせてもらいました。精液のDNA情報と、先生の髪の毛の情報。これはもちろん一致しませんでした」
 これを聞いてますます僕は不快になった。やはりコイツ、疑ってたんじゃないか。
 「じゃあ、小山さんはどうして今日ここに来たんです?僕以外の誰かほかの先生が怪しいとでも言うんですか?」と無意識に語気を荒げて僕は言った。
 「……先生が言ってるのは半分あたり、ってところでしょうかね。事件があった日、普段のようにこの学校には館内先生のほかに3人の男性の先生がいましたが、彼らについては疑うところがありません。山之内先生の死亡推定時刻には彼らは全員あなたと一緒に職員室にいた――とこれは館内先生が証言してくれたことなんですがね。そういうわけでアリバイはとれています」と刑事は僕の苛立ちに答えず、落ち着いたまま言い、二本目の煙草に火をつけた。
 他の先生も疑いがないだって?僕にはますます今日ここに刑事が来た理由がわからなくなった。時計をちらりと見ると、昼休みが終わるまでにまだ2分も余裕があった。
「おっと、あと2分しか残ってないじゃないですか。参ったな……まぁ、良いです。でも、先生はひとつ忘れてることがあるんじゃないですか?」と刑事は言った。刑事は僕の困惑した表情に少し満足気だったのが、心底憎たらしかった。

10

 代々の生業であった養鶏業に従事していた小笠原太郎の下に赤紙が届いたのは、1935年3月15日、彼が18歳になったばかりのことだった。
 それからわずか一週間で、太郎が御庭町を出て東京に行くことが決まった。体格検査を経て(少しばかり体重が少なかったのが、検査員となった帝国陸軍専属医の眉をひそめさせる要因となったのだが)太郎は晴れて陸軍の一員として天皇に仕えることを認められたのである。
 御庭町一の好青年であり、美男子として知られた太郎の出立の日には、F駅に彼を慕う御庭町の人間が数多く集まり、彼を見送った。誰もが太郎の身を案じていた。
「生きて帰ってくなんしょよ!」
 車窓の外から呼びかける多くの人びとに向けて、彼はずっと微笑み続けた。その美しい笑顔は御庭町の人びとの心に焼きつき、彼に思いを寄せていた農家の娘たちの幾人もが、帰り道の途中で、太郎の仏のような表情を反芻し、涙した。当時は現代のように御庭町と市街地を結ぶバスもなく、見送りの人は行きも帰りも徒歩で山道を往復しなければならなかったから、暗く寂しい山道のなかを歩き続ける疲労のなかに差し込んだ太郎の表情はあまりにも優しすぎたのだ。
 しかし、東京の三鷹にあった陸軍訓練所の宿舎に着いて太郎が受け取った、故郷からの初めての知らせはとても悲しいものだった――77歳になる彼の祖母が、亡くなったのだ。それも彼を見送りに行ってから、たった3日後に。
 優しい太郎は、このことをひどく悔やんだ。祖母が死んだのは、自分が強く見送りに来てくれることを望み、祖母に無理をさせてしまったからだ、と彼は信じ込んでいた。訓練が始まり、1ヶ月が経っても彼は消灯時間になると、シラミだらけの布団にはいり天井に向かって「こだごどになるなら、ばあちゃんに見送りにきてくれなんかいわなきゃよかったんだ……」と一人ごちた。
 しかし、家が貧しく学校にも通わせてもらえなかった太郎にとって、支給された国民服を着て旅立つ姿は是非とも見てもらいたい自分の姿だった。麻布でできたほころびのあるその国民服は、きっと誰かの使い古しだったろう。しかし、それは彼にとって初めての制服であり、初めての晴れの舞台だったのである(そして祖母に見送りをせがんだのは、太郎の初めてのわがままだった)。
 訓練所には全国からさまざまな若者が集まっていた。しかし、傷心の太郎は「中国人も亜米利加野郎もまとめて突っ殺してやる」などと息巻く男たちにまったく馴染めないでいた。(あまりの優男ぶりに上官の誰もが太郎に期待していなかったにも関わらず)厳しい訓練はなんとかこなしていたし、素直な性格が幸いして上官に横面を殴られることは周りの訓練兵と比べると少なかったにも関わらず、その環境はつらく感じされた。
 ある日、太郎は訓練所の周囲に張り巡らされた鉄条網を乗り越えて脱走し、御庭町に戻る夢を見た。「よっぐ帰ってきたなぁ」。夢の中で御庭町の人びとは彼をそういって迎え入れてくれた。彼の帰郷を喜んだのは、なにも人びとばかりではない。彼が面倒を見ていた36羽の鶏たちが狭い鳥小屋のなかで地震の前触れのときのような狂ったようにはばたいた――しかし、彼を夢の世界から現実の世界へと連れ出したのは、鶏の鳴き声ではなく、宿舎の起床時間を告げるラッパの高鳴りだった。
 太郎は脱走の夢を見たことを大いに恥じた。もし脱走などしたら、御庭町に憲兵がやってきて父や母、町の人に迷惑をかけるだろう。サーベルを突きつけられて尋問を受ける人を出てくるにちがいない。太郎に脱走など選べるはずがなかった。「俺はばあちゃんを殺しただけでなく、まだ町の人に迷惑かけるつもりなんだべか」。多くの若者たちの汗がしみこんできた布団を片付けながら、彼はそう言って自分を叱咤した。

 外は空調が効いた職員室とは比べられないほど蒸し暑く、息を吸うと熱を持った湿気がのどを通っていくのが分かるぐらいだった。額に滲んだ汗を拭いながら駐車場まで出て行くと、刑事も同じく手に持ったハンドタオルで黒ずんだ顔をしきりに拭っていた(おそらく内臓のどこかが悪いんだろう)。
「いやぁ、ずいぶん待っちゃいましたよ、館内先生。本当は中で待たせてもらおうと思ったんですけどね。そこにいる(そういって刑事は職員用の玄関を指差した)ジイサマが『校長先生の許可がねど、学校さはいれらんね』って言うもんだから、仕方なくここにいたんですが、先生、いくら待ってもこっちに気づかないんだから。まったく、倒れるかと思いましたよ」
 「困りますよ……こんなところに来られちゃ。ただでさえパトカーに乗ってるところを生徒に見られてからかわれたりしてるんだから……。で、なんのようです?僕が犯人だっていう証拠でもあったんですか?」――開口一番にまくし立てた刑事に向かって、僕は皮肉をもって答えた。
 「先生が犯人?」。僕の言葉に刑事はわざとらしく驚いてみせた。「いやだだなぁ、先生。私が先生のことを疑ってたって言うんですか?そんなはずないでしょう。ただ、アレがあまりにもひどい殺され方してたもんで、ちょっと詳しく話をうかがっただけですよ」。刑事はそう弁解したが、僕にはどうしてもそれがうさんくさいものに感じた。第一、彼のにやついた表情が僕には気に入らなかった。
「まあ、とりあえず日陰にでも動きませんか?ここじゃ話してる間に、二人とも倒れちゃいますよ」
「良いですけど……10分だけですよ。昼休みも終わるし。僕はこの後、授業もありますから」
 「結構です。すぐ終わりますから」と刑事は了解して、僕らは力強く茂った棕櫚の木が作る日陰に移動した。その間、僕らを不思議そうに眺める生徒が何人か通りがかり、そのたびに僕はなんだか嫌な思いがした。 
「ところで刑事さん……えっと…小山さん……でしたっけ?小山さんもやっぱりアレが殺されたと思ってるんですね?」
 何の断りもなく職場に来た刑事をうざったく思っていながら、話に突っ込んで言ったのは僕の方だった(これはなんとなく自分でも意外な感じがした)。
 「当たり前でしょう。あんな『事故』、一体世の中のどこにあるって言うです。本当だったら、昼のワイドショーの記者がバンバンこの町に乗り込んでくるような大ネタですよ。久しぶりに腕の見せ所だ、と同僚も息巻いてたところだったんですよ」と刑事は、深いため息をついた後にそう答えた。「しかしね、ウチの方にも例の小笠原の手が回っていたみたいでしてね。すぐにそんな雰囲気も冷めちまった。所長は、
 あ、この所長っていうのが書道八段の凄腕でしてね、『御庭町女教師怪奇殺人事件捜査本部』なんて物々しい立て札をわざわざ書いてくれたのも無駄になり、同僚の息もシュンと大人しくなっちまいやがった。
 まぁ、我々も刑事とは言え、一介のサラリーマンですからね。それは仕方ないといえば仕方ない。おかげで私も捜査礼状もなにも持たずにここに来て、先生の車の前で小一時間立ちんぼする羽目になったわけです」
 「じゃあ、小山さんもここにいちゃまずい人間じゃないんですか?」と僕は尋ねた。
「そのとおりです。さすがは先生だ。まぁ、まずい人間なもんでね。こうして休暇を潰して『趣味』でここに来てることになってるんです、一応ね。でもね……ちょっといろいろ調べてたら面白いことが分かったんですよ……」
 話を進めるうちに爛々としていく刑事の目が僕には不気味だった(刑事の言葉からはすっかりと東北訛りが抜けていたことも……)。

 極限状態にまでおいこまれた人が、その瞬間に超常現象的な体験をしたり、超自然的なものと出会った、という証言を残すことがある。
 例えば、1972年、アメリカ・ノースダコタ州ではダグラス・フォックストロットという男性がなんの変哲もない真っ直ぐな道の続くハイウェイを車で走行しているあいだに、スリップ事故を起こした。路面が濡れていたわけでも、突風が作用していたわけでもない。ほんとうに原因不明の事故だった。
 もちろん車両の整備不良だったわけでもない。むしろ、フォックストロットの自慢だったオープンタイプのムスタングは快調過ぎるほど快調で、スリップ直前まで時速130キロメートルのスピードで走行していた。もっとも、このハイスピードと車種のおかげでフォックストロットは、車外に28メートルも投げ出され、首の骨、右腕鎖骨、肋骨、腰椎、大腿骨……など全身の31箇所の骨を折る羽目になった(うち5箇所が複雑骨折。折れた肋骨が2本肺に突き刺さっていた)。
 フォックストロットはこのときのことをこんな風に語っている。

 原因はいまだに分かりませんが、急に車がスリップしましてね。ポーンと気持ち良いぐらいに体が外に投げ出されてしまったんです。そう、こどもの頃、町にやってきたサーカスで見た人間大砲の曲芸師みたいにです。
よく晴れた、暑い夏の日でしたよ。空中にいる間は、一瞬だったと思います。でも、その時間はまるで永遠みたいに長く感じました。ちょうどそのときです、空中に浮かぶ私の目には、雲ひとつない空とカンカンに照りつける太陽が映りました――そのまばゆい光のなかに神はいらっしゃったのです。
これを言うと友人は『頭を強く打ちすぎたんじゃないか』といって笑いましたが、とんでもない。本当に神はいらっしゃいました。神は私を見て微笑んでいらっしゃるかのように見えました。
 覚えているのはこれだけです。神の姿を見た後に、私は地面に着地し、自分の体のたくさんの骨が砕ける音を聞きました。それから長い暗闇がやってきました。
 再び気が付いたとき、私は病院のベッドの上いました。事故の日から丸2ヶ月経っていました。病院に運び込まれたときのことを医師から聞いて、自分が生き延びられたことが奇跡だと思いました。そうです。今こうして事故のことを語っていることも、神がおこされた奇跡にちがいありません

 フォックストロットが事故にあってから15分後、ラジオから流れるディープパープルの「ファイアボール」にノリノリだった長距離トラックの運転手が路肩に横転した彼のムスタングを発見しなかったら、彼がこうした証言をすることもなかっただろう。過酷なリハビリを経て、無事病院を退院した彼は、それまで経営していたビリヤード・バー「ナイト・プレジャー」を教会に改修し、異端的なカトリック神父へと転職した。教会は聖ムスタング教会と名づけられ、彼の施す交通安全を祈る秘儀を受けるため、いまでも多くの人が集まっているという。
 このような不思議な証言にはほかにも枚挙に暇が無い。中国の云南省では、茸取りの途中で崖から転落した農婦が「私を助けてくれたのは、とても大きな猿人でした」と語っているし(彼女の家の居間には毛沢東肖像画と、今ではトリック写真と証明された猿人の写真が飾られていた)、イランでは暴漢に刺された映画俳優が「ナイフで刺された瞬間に、なぜかエルヴィスを見た」とインタビューで答えている。
 小笠原太郎もまた、そのような不思議な証言をおこなった者の一人だった。
 彼は、ある日突然「自分がディンデン・ツォンパの生まれ変わりだ」ということに気がついた。それから彼は、以前の「太郎」という名前を捨て「仁海」を名乗ることになる――この名前はシベリアに伝わったチベット仏教の一派(いわゆる西シベリア派チベット仏教)における最高ラマ僧の名を漢字で表したものだ。この改名は同時に、小笠原が「世界に平安をもたらす救世主であり改革者」であることを意味していた。