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 「実はですね。山之内先生が殺される前の晩、山之内先生が男と一緒に街の繁華街を歩いてるのを目撃したっていう人がいるんですよ。
 しかも、その男っていうのが、日本人じゃない。ガイジン、それも黒人です。市街地でさえ、この辺じゃガイジンなんて珍しいですからね。綺麗な女性が黒人と一緒に歩いてたのなんて目立ったんでしょう」と刑事は言った。
「まさか、その黒人ってピーター先生だって言うんじゃ……」。
 刑事の言葉に促されるようにして僕の口から出たのは、僕と同じ時期に非常勤で採用された黒人のALT(外国人英語指導助手)の名前だった。週に1度しか学校に来ない彼のことなど事件があってから、すっかり忘れてしまっていたのだ。山之内先生が死んだ前の日は、彼の出勤日になっていた。しかし、ふたりで市街地に出て行ったのは特別怪しいことには思われなかった。もしかしたら、何か同じ用事があったのかもしれないし、僕の知らない間にふたりの間になにか関係があったのかもしれない(どちらにせよ、僕には関係なかったのだが)。
 「まぁ、まだ確実な裏はとれてないんですがね。でも、その可能性は高い。F県内にいる黒人で、山之内先生とつながる黒人なんか、彼ぐらいのものでしょう」と刑事は言った。
「それで小山さんは、彼を疑ってる、と」
「そういうことです」
 僕らが芝生の上に煙草の吸殻を捨て、靴でその火を揉み消したのはほぼ同時だった。刑事は、自分の意図が僕に伝わったのが満足だったらしく、彼の顔には再びいやらしいにやけ笑いが戻っていた。しかし、僕にはまだ、どうして彼がここに来て僕を誘い出すような真似をしたのかは掴みきれていなかった。
 「そういうことなら、さっさと逮捕してしまえば良いでしょう?なぜ、僕を遠まわしに呼び出すようなことをするんです?」と僕は言った。
「そこが難しいところなんですよ。さっきも言いましたが、小笠原仁海がこの事件になぜか絡んできている。そういうわけで大っぴらに動けないわけです。外国人が逮捕された。こうなれば、大使館とかそういった役所に話がいかないわけにはいかない。話が大きくなってしまう。
 それに現時点では彼が犯人だと確実には言い切れない。100%クロだ、と分かるまでは私も派手には動きたくない。その確証がとれたら、私もなんとかして動きます、一応刑事のメンツがありますからね、そんな凶悪犯野放しにはしておきたくありません。
 犯人を挙げてしまえば、もうこっちのものです。小笠原の圧力がかかっていたとしても、私と署長がどこかに飛ばされるぐらいで済むでしょう。それで済むなら、まぁ、良いでしょう。」
 僕は黙って刑事の話を聞いていた。刑事はまだ僕の2つ目の質問に答えていない。僕の沈黙は、そのことに対する抗議のつもりだった。それに、刑事の話はどうにも胡散臭く感じられた。こんな嫌らしい態度の刑事がそんな正義感を発揮するんだろうか?
 「そこでです」。刑事はそういってポケットのなかから、何かを取り出して僕に無理やり握らせた。手のひらを開くと、そこには小さなプラスティックの容器があり、容器の中には青い色をした液体が入っていた。
「先生には、確証を取るための手助けをしていただきたいんですよ。
 その容器の中にはいってるのは、言ってみればリトマス試験紙みたいなものです。髪の毛、爪、皮膚、汗、なんでもいいんですが、その液体にそういうものを浸すと、それが山之内先生の死体から見つかった精液と同じ遺伝子情報をもっているものだったら、反応して色が青から赤に変化する。そういう特殊な液体です。
 すごいものでしょう。ウチの科学捜査チーム――普段はコソ泥の指紋を分析したりする地味なヤツらなんですが――に一人バクチ狂のヤツがいましてね。優秀な男なんだが、いたるところに借金がある。これをネタにして無理やりソイツを作らせました。
 次に彼が学校にきたとき、こっそりコイツを試してみて欲しいんですよ」
 刑事はそう言い、そしてまたニヤリとした笑みを浮かべた。
「だから、どうして僕がそんなことをしなきゃいけないんです!僕には関係ないことじゃないか!!」と僕は堪らなくなって怒鳴り声をあげた(人に対して怒鳴ったのは、何年かぶりだった。僕はまだ生徒に対しても怒鳴ったことがなかったのだ)。
 「……そう言われると思いましたよ。でもね、実はあなたにも関係があるかもしれないんです」と刑事は言った。
「え?」
 思わず言葉が漏れた瞬間に、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。どういうことなのだろう?刑事の意外な一言で、僕は体を貫かれるような感じがした。
 「残念。時間になってしまいました。今日のところはこれでお暇しますよ。続きはまた今度にしましょう。今度は、もうちょっとゆっくり喋れると良いんですが……それでは」と刑事は言って、鋭い日差しのなかに出て行った。
 授業が始まっても、僕の頭の中はずっと混沌としているようだった。ポケットのなかには、刑事が手渡した不気味な液体が入ったままだった。それが一層、僕の気がかりを増大させたみたいだった。
 そのおかげで昼休み後に受け持った50分間で僕は、6回も生徒の名前を呼び間違えた。