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 太郎を孤独のまま置き去りにするかのように、早々と訓練期間の半年は過ぎ、彼は陸軍第二総軍第八方面部隊――通称、満ソ境界領域警備隊――へと配属を命じられた。同じころに訓練所に入れられた若者たちが一同に集められ、次々に激戦地へ向かう命令を受けているなかで、太郎が受けたのはほぼ閑職と言っても良い部隊だった。
 太郎がそんなところに配属されたのは、周りが半年の間に野蛮な兵士に成長したのに、いつまでもヒョロヒョロとした青びょうたんのような優男のままだったからだろう。上官も半ばあきらめて「こんな男は、双眼鏡でも持たせて国境の見張りでもさせておくほかはない」と思ったのだ。「お前、得したな」。静まり返った訓練所の大教室で、太郎にいたずらっぽく囁いた――当時、誰もソビエトが日本に牙を向けることになろうとは想像していなかった。
 大陸へと向かう船に乗る前夜、太郎は御庭町に残された両親のもとに電報を打った。
 「アス チヨウセンへ ムカウ」――太郎の両親が受け取った電報には、そう書かれていたのだが、残念ながら父も母も字を読むことができなかった。意味を図ることができない電報の文字は、両親をひどく不安にさせた。太郎のもとに赤紙が来てから、彼らは文字を不吉なものだと思っているらしかった。
 「なんて書いであんだ?父ちゃん」、「オラにわがるわげねべ」――年老いた夫婦は何度も同じやりとりを繰り返した。ふたりが町長に電報を読んでもらえば良いことに気がついたのは、電報を受け取ってから丸1日経ってからだった。
「まあ、太郎さんも安泰だべ。たった一年で、ずいぶん陸軍は奥地のほうまで兵隊さ進めただ。日本が負けるわげね、だいじょぶだ」。
 電報を受け取った町長はそう言って太郎の父親の肩を叩いた。
 父親が安堵の息を漏らし、緊張が切れた母親が思わず涙を流しているとき、すでに太郎は日本海を渡る船の舳先で、自分がまもなく足を踏み入れる大陸の方向をじっと見据えていた。陸から吹いてくる風は、海上で感じたものとはまるで違っていて、複雑な香りがした――潮だけではなく、土や緑のにおいがその空気に含まれているのだろう、と太郎は思った。
 時折、強い風が吹くと肌寒い感じがし、既に訪れている大陸の秋を教えてくれた。まだ見ぬ陸地の秋風は、太郎に強く御庭町の秋を思い起こさせた。それは高畠から吹いてくる冷たい山風にどこか似ていたのである――その瞬間、キツネノハガクレやホトケノクシャミといった御庭町を取り囲んだ山林でしか取ることのできない珍しい形をした茸や、アケビモドキというアケビのような味がするのに、ミカンのように黄色で、果実はリンゴに良く似た不思議な果物から作られる酒についての記憶が太郎の脳裏に燃え盛る炎のように蘇った。