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 イラクじゃ、誰もがうんざりしていた。街の中じゃ毎日銃声と女子供が泣き叫ぶ声が絶えなかったし、三日に一度はどこかからデカい爆発音が聞こえた。昨日の音は近かったな。また、自動車爆弾だったらしい。現場に出くわしたハワードの頭に、吹っ飛んできたバックミラーがぶち当たって、ヤツは一発で死んじまった。まったく、おっかねぇはなしだ。アイツはウィスコンシン出身だったけな。お袋さん、悲しむだろうな。
 今日はジェネシスの野郎から手紙が届いた。消印は日本になっている。オキナワともヨコスカとも書いていないが、どうやら噂どおりヤツは本当に日本で暮らしているらしい。「元気でやってる。そっちはどうだ?お前はたぶん国に帰れるよ、心配するな。俺はガールフレンドができた。日本の女は俺たちみたいなマッチョな男が好きみたいだ」だってよ。おめでたいヤツだ。こっちはまだまだうんざりする毎日だってのに。
 窓の外に目を向けると相変わらず、強風が粒子の細かい砂埃を舞い上げているが見えた。これもまたうんざりする原因のひとつだった。初めてこっちにきたとき、俺はこの砂埃のせいでコンタクトレンズをするのを諦めなきゃいけないはめになった。それで今かけてる支給品のメガネに変えたんだが、コイツをしてても30分に一回はレンズを拭いてやらなきゃ視界はゼロになっちまう。まぁ、見えていたところでイラク人の顔なんか見分けがつかないんだから意味は無い。とにかく、俺たちはこっちに銃を向けてるやつ、荷物のなかみを見せようとしないやつ、なんとなくムカつくやつに向けてライフルをぶっ放せば良かった。
 ジェネシスから届いた手紙をベッド上にほおると、俺は夜警に行く準備をしなきゃいけなかった。ヤツが除隊になるきっかけもこの夜警だった。
 半年前、ジェネシスと俺は同じ部隊にいて、同じ部屋のルームメイトだった。それで毎日同じスケジュールでバグダードの治安維持任務にあたっていたんだ。ヤツが「ジェネシス(創世記)」なんて罰あたりなあだ名で呼ばれていたのは、同じ部隊にもう一人、ピーター・ガブリエルという同姓同名の野郎がいたからなんだが、なんとも笑っちまうよな、ピーター・ガブリエルだぜ?イギリス人の貴族出身とか言うミュージシャンの名前だ。しかも、それが2人。ジェネシスは、そのミュージシャンが昔組んでたバンドの名前だった。
 ミュージシャンのピーター・ガブリエルと、白人のピーター・ガブリエル、そして黒人のピーター・ガブリエルがいて、ジェネシスと呼ばれてたのは何故か黒人のピーター・ガブリエルだった。なぜヤツが選ばれたか、理由はもう忘れちまった。「ユダヤ人でもないのに、ジェネシスなんか」と最初はヤツも嫌がっていたみたいだが、最終的にその名前には満足していたみたいだった。
 一方で、白人のピーター・ガブリエルは「スレッジハンマー」と呼ばれていた。興奮したときのヤツのペニスは、その名前に相応しかったが、残念ながらあだ名が定着する前に野郎は死んじまった。たしか、ご自慢のハンマーをイラク女相手に無理やり試してやろうとしたときに、袋叩きにあったんだっけな。死体から切り取られたシロモノが、土の壁にナイフで留められるのを見たジャーナリストがゲェゲェ吐いてやがった。
 あの夜、俺とジェネシスともう一人(名前は忘れた。コイツも死んだ)は、夜な夜なバグダードを徘徊しては自動車やら電話ボックスやらに爆弾をしかけてるヤツはいねぇかと見回りをしていた。街灯もなく、月明かりぐらいしか道を照らしてくれるものがないなかでやるこの仕事はみんなが嫌がるもののひとつだった。もちろん、このクソッタレ仕事の間に死ぬやつがゴマンといたからだ。いつ、どこから撃たれるか、わからねぇ。夜警の前には誰もがうんざりしていたし、おっかながった。だから、俺たちはいつも任務の前にしこたま酒を飲んで、恐怖を頭から抜いちまうことにしていた。もちろん、こんなことは許されちゃいない。ただ、上官も上官でうんざりしていたんで、黙認してくれてたんだな。
 しかし、その晩は3人とも飲みすぎてた。
 俺がイラク野郎が住んでる薄汚ねぇ建物の壁にションベンで「ファックしたい(I wanna fuck you)」と書こうとしている途中、後ろから死んだ一人から「怪しい人影が、そこの建物に入っていくのをみた」と声をかけられた。「ちょっと待てよ、今ゲージュツの途中なんだから」と俺は振り返りもせず答えたんだが、相手は「もうジェネシスが追っていっちまったんだ」なんて言いやがる。
 仕方なく、俺は「c」まで書いたところでゲージュツをやめて振り返った。死んだ野郎が指差しているのは、立ち入り禁止になってたはずの空きビルだった。窓ガラスが全部割れたその建物は、月明かりに照らされていかにも悪いヤツのアジトっていう不気味な感じがした。普段なら絶対立ち入りも近づきもしない場所だ(建物ごと吹っ飛ばされたら、一貫の終わりだろ?ガレキに埋もれた死体を捜すのだって一苦労だ)。
 「くそったれ!」
 ジェネシスの野郎、飲みすぎだぜ。普段なら無線を入れて応援を呼ぶはずだろ?まだ何かが起こったわけでもない、別に何もなかったことにすることだってできたはずだ――と俺は思った。でも、俺たちもジェネシスの野郎と同じぐらい酔っ払ってたんだな。野郎を見殺しにしても良かったんだ。だが、無線で応援を呼んですぐに、応援を待たずににふたりして建物のなかに入っちまった。