極限状態にまでおいこまれた人が、その瞬間に超常現象的な体験をしたり、超自然的なものと出会った、という証言を残すことがある。
 例えば、1972年、アメリカ・ノースダコタ州ではダグラス・フォックストロットという男性がなんの変哲もない真っ直ぐな道の続くハイウェイを車で走行しているあいだに、スリップ事故を起こした。路面が濡れていたわけでも、突風が作用していたわけでもない。ほんとうに原因不明の事故だった。
 もちろん車両の整備不良だったわけでもない。むしろ、フォックストロットの自慢だったオープンタイプのムスタングは快調過ぎるほど快調で、スリップ直前まで時速130キロメートルのスピードで走行していた。もっとも、このハイスピードと車種のおかげでフォックストロットは、車外に28メートルも投げ出され、首の骨、右腕鎖骨、肋骨、腰椎、大腿骨……など全身の31箇所の骨を折る羽目になった(うち5箇所が複雑骨折。折れた肋骨が2本肺に突き刺さっていた)。
 フォックストロットはこのときのことをこんな風に語っている。

 原因はいまだに分かりませんが、急に車がスリップしましてね。ポーンと気持ち良いぐらいに体が外に投げ出されてしまったんです。そう、こどもの頃、町にやってきたサーカスで見た人間大砲の曲芸師みたいにです。
よく晴れた、暑い夏の日でしたよ。空中にいる間は、一瞬だったと思います。でも、その時間はまるで永遠みたいに長く感じました。ちょうどそのときです、空中に浮かぶ私の目には、雲ひとつない空とカンカンに照りつける太陽が映りました――そのまばゆい光のなかに神はいらっしゃったのです。
これを言うと友人は『頭を強く打ちすぎたんじゃないか』といって笑いましたが、とんでもない。本当に神はいらっしゃいました。神は私を見て微笑んでいらっしゃるかのように見えました。
 覚えているのはこれだけです。神の姿を見た後に、私は地面に着地し、自分の体のたくさんの骨が砕ける音を聞きました。それから長い暗闇がやってきました。
 再び気が付いたとき、私は病院のベッドの上いました。事故の日から丸2ヶ月経っていました。病院に運び込まれたときのことを医師から聞いて、自分が生き延びられたことが奇跡だと思いました。そうです。今こうして事故のことを語っていることも、神がおこされた奇跡にちがいありません

 フォックストロットが事故にあってから15分後、ラジオから流れるディープパープルの「ファイアボール」にノリノリだった長距離トラックの運転手が路肩に横転した彼のムスタングを発見しなかったら、彼がこうした証言をすることもなかっただろう。過酷なリハビリを経て、無事病院を退院した彼は、それまで経営していたビリヤード・バー「ナイト・プレジャー」を教会に改修し、異端的なカトリック神父へと転職した。教会は聖ムスタング教会と名づけられ、彼の施す交通安全を祈る秘儀を受けるため、いまでも多くの人が集まっているという。
 このような不思議な証言にはほかにも枚挙に暇が無い。中国の云南省では、茸取りの途中で崖から転落した農婦が「私を助けてくれたのは、とても大きな猿人でした」と語っているし(彼女の家の居間には毛沢東肖像画と、今ではトリック写真と証明された猿人の写真が飾られていた)、イランでは暴漢に刺された映画俳優が「ナイフで刺された瞬間に、なぜかエルヴィスを見た」とインタビューで答えている。
 小笠原太郎もまた、そのような不思議な証言をおこなった者の一人だった。
 彼は、ある日突然「自分がディンデン・ツォンパの生まれ変わりだ」ということに気がついた。それから彼は、以前の「太郎」という名前を捨て「仁海」を名乗ることになる――この名前はシベリアに伝わったチベット仏教の一派(いわゆる西シベリア派チベット仏教)における最高ラマ僧の名を漢字で表したものだ。この改名は同時に、小笠原が「世界に平安をもたらす救世主であり改革者」であることを意味していた。