次の日、昼休み中の職員室で誰かが読みっぱなしで放っておいた地方紙を開くとテレビ面の裏に小さく山之内先生の死亡記事が出ているのに気がついた。

5日午後8時00分ごろ、F市立御庭中学校で飯沢町肥田野字岩堂31、同校教師、山之内揺美さん(28)が、理科室で倒れているのを同僚の国語教師が発見し110番通報した。山之内さんはすでに死亡していた。
F北署の調べでは、山之内さんは同日午後3時半ごろ、次の日の授業で行う実験の準備を行うといって職員室を出たきり戻らなかった。その途中、なんらかの事故をおこしたものとして調べを進めている。

 同僚の国語教師――これはもちろん僕のことだ。
 新聞記事でも、校長が昨日生徒に説明したのと同じく、彼女は事故で死んだことになっていた。「F市内でガソリンスタンドにトラクターが突っ込み、爆発で8人が死亡した」という惨事を伝える記事の下に、ポツリと何の変哲もなく掲載された彼女の記事は味気なく、彼女の死に様の異常さとはあまりにも不釣合いなものに思えた。これでは誰もが読み飛ばしてしまうにちがいない。
 どうもおかしい。思い出しただけで吐き気が蘇りそうな惨状は、誰が見ても「なんらかの事故」というよりも「なんらかの事件」、それも凶悪事件にしか思えないものだったはずだ――山之内先生の首に巻きついたガスバーナーのゴムホース、あれが直接的な死因だったのかもしれない。
 こんなニュースは毎日退屈なだけの地方紙を盛り上げる格好のネタになったはずなのに。第一、ほかの先生はおかしいと思わないんだろうか。ジャージの裾に吐き出したばかりのソフト麺をくっつけたままの僕が、職員室に飛び込んで警察へ連絡を入れてから何人か理科室まで現場を見に行っていたはずだ。彼らは学校もメディアも、あれを「事故」として処理しようとしていることに何も思わないのだろうか。
 僕にもし正義感があったなら、こんな不可解な状況に断固たる抗議をしていただろう――「なぜ、本当のことを話さないんです!これじゃ山之内先生がうかばれませんよ!」――でも、残念ながら僕はそんな立派な人間ではなかった。正直言って「事故」として処理されたほうが、面倒くさいことが少なくなって僕にとっても好都合に思われたのだ。
「どうしたんです、館内先生?めずらしい。いつもは新聞なんか読まないのに」
 僕にそう話しかけたのは、体育の仙波先生だった――彼も山之内先生が「倒れている状況」を見に行っていたはずだ。
「いえ、この記事を……」
 さっきまで読んでいた記事を彼に示すと、彼の表情は一瞬曇った(しかし、彼は右手に持っていたコッペパンを食べるのをやめなかった)。
「ああ……山之内先生の……いや…僕もおかしいと思いますけどね。ちょっとヤバすぎるかなぁ……いえ、こんな田舎の中学校であんなことが起きちゃったら、一躍全国ニュースで取り上げられちゃうでしょう。そんなことになったら保護者の方々にもねぇ…生徒も可哀想だろうし。それに……」
 何も聞き返さずに黙っている僕を確認して、彼は右手に残ったコッペパンをすべて頬張り、牛乳で口の中にあるものを一気に流し込んだ。それから、周りをキョロキョロと見回してから――校長か教頭が聞いていないか気にしたのだろう――話を進めた。
「先生がパトカーに乗せられて行っちゃった後、すぐに小笠原仁海の使いだって言う物々しい感じの男が乗り込んできてね。校長に『しばらく事故ということにしておいてくれ』って頼んだらしいんですよ。幸い、生徒が誰も見てなかったから、校長もそれを引き受けたらしいんですが……」
「誰です?小笠原って」
「ご存じないですか?あれ?先生、昔このあたりに住んでたんでしょう?」
「いえ、住んでいたといっても少しの間ですし……もうずいぶん前の話ですから」
「そうですか……いや、小笠原っていうのは御庭町出身の政治家ですよ。一時は『次の県知事か!』と期待されていた人らしいんですけどねぇ、館内先生が知らないのも無理ないか。随分お年を召した方らしいんですが、まだまだ現役で影響力もすごく強いんですよ。私も顔をみたことはないんですけど」
「でも、そんな人がなんで……?」
「そんなこと私が知るわけないでしょう!」
 彼はそう言いながら、日に焼けた黒い顔を苦笑で歪ませた。
「まぁ、なにはともあれ『そういうこと』ですから。先生も『そういうこと』にしておいたほうが良いですよ。まだ、先生になってから3ヶ月ぐらいでしょう?校長はまだしも、今から教頭に目をつけられたらつらいですよ。それに、警察はちゃんと動いているみたいだし、ほら」
 彼が指を指す方向に目をやると、刑事が僕の車の前にたって、職員室のほうをじっと見つめているのが目に入った。僕の心臓に、再びギュッと掴まれるような感覚が走ったのは言うまでもないだろう。