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 チャムスからハルビンへと、太郎は毎日定式化されたような肉声を送った。本隊への連絡チャネルへと周波数を合わせ「こちら第八方面部隊、小笠原二等兵であります」と受話器に向かって話しかけると、すぐに応答がある――「こちら、ハルビン。そちらの状況はどうか?」。「はい。こちらは特に異常ありません」と太郎は答える――「そうか」と相手は言って、通信が終わる。これが、太郎に課せられた最重要任務だった。同僚は、毎日過酷な訓練おこなわなくてはならない(太郎にはその訓練は、不必要なものに思われてならなかったのだが)。それと比べると、自分の仕事はなんて穏やかなものなのだろう、と太郎は思った。
 一日中、通信室――元々は宿屋の客室だった狭い部屋だ――に閉じこもり、じっとどこかからら通信が入るのを待ち続ける日々が続くと、これが退屈というものかと太郎は感じた。御庭町にいた頃は、夜明け前から鶏に餌をやる仕事をやらなくてはいけなかったし、訓練所では毎朝ラッパの音で目が覚めるとすぐに訓練が始まった。しかし、チャムスに来てからは違う。毎日がただぼんやりと過ぎていくのだ。心を動かすものはほとんどなく、自分のなかからだんだんと感情というものが薄れていくようにさえ思われた――同時に、御庭町への郷愁の念も曖昧なものとなっていったのには、太郎は少しだけ救われたような気がした。
 太郎以外に通信室に足を踏み入れるものはほとんどいなかった。しかし、週に1度ぐらいだったろうか、太郎がいつものように通信が入ってくるのを待っているところに、通信室のドアが突然開き、沢登が入ってくることがあった。このときばかりは、太郎も緊張を隠すことができなかった。話をするわけでも命令を下すわけでもなく、太郎をじっと監視するようにして沢登は部屋に留まった――そうすると太郎は振り返ることもできず、沢登の冷たい視線が背中に突き刺さるような感じに耐えなくてはいけなかった。何のために沢登がこの部屋に来るのか、太郎には分からなかった。「彼も訓練ばかり続けなくてはならないチャムスでの日常に退屈を感じていたのではないだろうか」。そんな風に考えることはあっても、それを尋ねる勇気を太郎は持っていなかった。その不可解な行動に、沢登に対して最初に感じていた好意とは違った、得たいの知れないものに対する不気味さ、恐ろしさのようなものを太郎は感じるようになった。
 ある日、同僚が沢登の冷酷さや非情さを示すいくつかの逸話を話しているのが太郎の耳に入ってきた。捕虜となった中国人の武装農民の首に次々と銃剣を突き立てた。戦闘で怪我をして歩けなくなった部下にトドメを刺した。第八方面部隊の本営となった宿屋の主人と女将を殺し、残った娘も陵辱して、今も飼い犬のように扱っている――見たことがある顔だが、名前は知らない若い兵士は、まるで猥談するかのように沢登のことを話していた。
 その話のどこまでが本当の話か太郎には分からない。確かだったのは、自分の中で沢登がより一層恐ろしい存在となって膨らんでいったことだけだった。