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「打ち合わせの時間が延びちゃってね、新幹線に乗るのが遅れてしまったんだ」
 テーブルに近づいてきた男は、そう言って刑事と僕に詫びた。歳は30歳をちょっと過ぎたぐらいだろうか。もしかしたらもう少しいっているのかもしれない。無駄な肉のついていない頬骨とガッチリした肩幅は、いかにも「ジムに行って鍛えています」という感じで流行に敏感な都会の男(しかも給料が良い会社に勤めてるタイプの)を思わせ、それは男の年齢を余計に推測しにくくしている――「どこで見た顔なのだろう?」と僕は思った。少なくとも僕の周りにはいないタイプの人間だった。
「こちらは、牧田大輔さん。ご存知ありませんか?最近よくテレビとか雑誌に出てるの見たことありません?」
 刑事はそう言って男を僕に紹介した。その名前はやはりどこかで聞いたことがある。たしか大学を卒業してすぐにIT系のベンチャー企業を立ち上げて、10年ほどで板橋にあった小さなマンションの一室から六本木にある新しい高層ビルへとオフィスを移すぐらい会社を大きくしたとかいう典型的な「成功者」のひとりとして何かで紹介されていたのを読んだことがあった気がした。「はじめまして」と言って、牧田が僕に差し出した名刺は強烈に「デザインされたもの」という印象を与えるもので――バウハウス?とにかくそういったモダニズムのデザイナーの意匠を継承した人に、少なくないお金を払って作らせたものだろう――僕は自分の県職員用の名刺を出すのが少し恥ずかしく感じてしまった。手首からは柑橘系の香水の匂い。これだってきっと何某かの高級ブランドのものなのだろう。 
 彼が席に座るとすぐに、店員が中ジョッキを2杯運んでくる。牧田のことを珍しい動物でも眺めるような目で見る店員には、男性用ファッション誌からそのまま出てきたような姿が珍しかったのだろう。というよりも「男性用ファッション誌からそのまま出てきたような男」という概念そのものが欠如している感じだった。東京の流行とこの街のそれではまるでモノが違うのだ。仏壇の前に置かれた厚みのある座布団のような模様のネクタイを締めたサラリーマンが平然と街を歩いているのに慣れてしまえる状況では、牧田のような格好が奇異に見えてしまうのは当然だったのかもしれない。
「仕事のあとの冷えたビールはどこで飲んでも美味しいものだね。グリーン車のなかで買ったビールがヌルくて不満だったんだ」
 運ばれてきたビールを口にしながら牧田はそう言ったあと、こちらに向かってニッコリと笑って見せた。訓練された笑顔。きっとビジネスを円滑に進めるためにそういう表情を作るレッスンを受けたりしたのだろう。話し方、身のこなしと言った他人に受け取られるものすべてが洗練されている。そういった印象が徐々に強まっていくにつれて、牧田の存在の不思議さは僕のなかで強まっていく。なぜ、東京に有名なIT企業の社長がこんなところに?――山之内先生の事件との関連もまったく見えてこなかった。
「なんで牧田さんがここにいるのかって顔してますね」
 僕が尋ねようとする前に刑事は話し始めた。
「牧田さんの地元がこちらなんですよ。お父さんのこと、知らないですか?こっちだと結構有名なんですけどねえ。ほら、県議会議員の牧田大蔵先生。街中にポスター貼ってあるでしょ」
「やめてくださいよ、小山さん。親父のことはあんまり言わないようにしてるんだから。会社作ったときのお金、全部出してもらったなんてカッコ悪いでしょ?」
 牧田はそう言って同意を求めるように僕のほうを見た――地元がこっちだって?まさか単に里帰りに来たわけじゃないだろう。お盆にはまだ少し早すぎる。
「まだピンと来てないって感じですね。そうでしょうね。じゃあ、僕のほうから話します。東京の成り上がり企業みたいな会社の社長の僕がどうしてここにいるのか?それから事件と僕とで関係があるのか?先生――いや、館内さんが不思議に思っているのはざっとこんなところでしょう?」
 牧田の言葉に僕は黙って頷くと、牧田はジョッキに残っていたビールを一気に飲み干して話を続けた。
「まず、少し背景的なところから話します。
 実は最近、親父――さっき話に出た県議会議員の牧田大蔵です――が『東京でいつまでも訳の分からない会社やってないで、早く政治の世界に入ってきたらどうだ』ってうるさいんですよ。まあ、親父ももう随分歳だ。とっくに還暦も過ぎてるし、僕に自分の地盤を引き継がせたいのは分かる。政治家としてはまだまだ現役でいれる歳なんでしょうが、昔無茶をし過ぎたんでしょう、早く引退したがってるみたいなんです。僕には、上に6人の姉がいるんですが――まるで戦時中みたいでしょう?――男は僕だけだ。引き継げるのは僕しかいない。
 それで僕の『やる気』の話になる。意外かと思われるかもしれませんが、僕のほうでもそんな話が来てまんざらでもないっていう感じなんですよね。会社は大きく出来るところまで大きくしてしまった感じもある。それに会社をはじめてから2年ぐらいは親父にはいろいろと助けてもらった。このへんで親孝行しておくかっていう気持ちもある。
 親父はね、『お前ぐらいの知名度があれば、後は俺がなんとかする。大丈夫だ』って言うんですよ。まずは県議会議員選挙に立候補しろ、出れば勝てる。一回任期を勤めたら、次は国会だって目指せる、ってね。
 ただ、僕はそうは思わない。ほら、田舎の人間ってどこか頭が固いところがあるでしょう?ライバルになる候補者だってみんな僕と同じ、2世、3世議員みたいなものなのに新参者にはえらく冷たいところがある。ましてや僕なんか歳もまだ若いし、ITなんていう海のものとも山のものともしれない会社の社長だ。落ちる可能性だって充分にありうる。
 問題はそれだけじゃない。小笠原仁海。こいつの存在が一番気になるんですよ――僕の親父と小笠原仁海はお互い敵対的な勢力に属している。親父は気持ちだけは良い勝負をしているつもりでいるけれど、実際のところ、F県を裏で牛耳っているのはほとんど小笠原仁海です。小笹町に農業用の空港を作ったのも、御庭街のダム建設も大きな事業はすべて小笠原が決めたと言っても過言じゃない。
 そんな敵がいるのに、おいそれと東京の会社をやめて議員に立候補なんかできますか?僕はリスクをできるだけ小さくして、それから可能な限り大きなリターンを求めるタイプの人間だ。今回も今までどおりそういう風にしたいと思っている。
 そこで今回の事件が起きた――F県の中学校で起きた極めて奇怪な殺人事件。それを小笠原仁海が隠蔽している」
「それを掘り返してスキャンダルを巻き起こし、小笠原仁海に引導を渡す。すると自分は安心して選挙に出れる」
 僕が口を挟むと、牧田はマネキンのような笑顔を返す。その表情はまるでテストで良い点を取った生徒を褒める先生みたいだった。本職の僕よりずっと生徒の成績が伸びてくれるような完璧な笑顔だ。
「そのとおり。さすがは先生だ、話が早い。もうご承知でしょうが、僕は実際的に言えば事件とはなんの関わりもない。ただ、興味がある、というか利用したいだけです。これは僕にとって大きなビジネス・チャンスみたいなものなんですよ。だから今日は館内さんが『あまり協力的ではない』と小山さんに聞いたものだから、直接交渉に来たわけなんです。正直に言いましょう、あなたは僕にとって重要なキー・パーソンなんです。ね、小山さん?」
 今度は刑事に向かって笑顔――それを受けて刑事は、自分がなにか手柄をあげたみたいに自慢げな表情を浮かべた。これですべては繋がった。刑事が必死で僕に協力を訴えるのは、うさんくさい正義のためなんかじゃない。すべてはこの男に協力したときに得られる報酬が目当てだったのだ。まったく、呆れてしまう。
「残念ですけれど、やっぱり僕には関係がないことです。協力はできません」
 僕がそう言って席を立とうとしたところを、牧田の声が掴まえる。
「館内さん、もう少しだけ僕の話を聞いてください。あなたにも関係があることなんだ――腹を立てていらっしゃるのもなんとなく想像できる。あなたにだって自分の生活や仕事がある。目撃者だってだけでこんなことは普通は頼んでも引き受けられない。小山さんの態度も不快でしょうしね。しかし、あなただって気になるでしょう。一体自分の何が事件と関係しているのか」
 図星を突かれた気分だった。確かに僕はそのために仕事のあとに、わざわざこんな店に出向いたのだ。
「1時間、いや、あと30分で話が終わるなら聞きましょう」
 僕がほとんど負け惜しみのようにそう言ったところで、牧田はまた笑顔を見せる。
「良いでしょう。ただ、10分だけ休憩させてください。僕も来ていきなり話し続けるのはちょっとキツい。それにお腹も減ってるんだ。ね?10分」
 僕はもう何も言わなかった。それを牧田は同意と受け取ったのだろう。
「小山さん、この店、なにか食べ物置いてないの?」
「あ、ピザぐらいならありますよ。冷凍ですけど結構イケます。近くのパン屋に作らせてるんですよ」
「じゃあ、それで」
 ふたりが注文を決めている間に、僕は天井にあった場違いすぎるシャンデリアをずっと眺めていた――なぜ、シャンデリアなのだろう?なにもかもが食い違っている――不思議なことにそこで自分も空腹だったことに気がついた。そう言えば、昼から給食の残りのパンぐらいしか食べていなかったのだ。テーブルのうえに目を戻すと、ほとんど手付かずで少しぬるくなった僕の分の中ジョッキがある。それでなんとか誤魔化すしかない。
 しばらくすると店の奥からチーズが焼ける匂いが漂い始めた。
「あと5分です。少し心の準備をしておいたほうが良いかもしれません。ちょっと館内さんにとってショックなことも話しに出てくるかもしれないから」
 と牧田が自分の腕時計を見やりながら言うと、店内にはまた異様な静寂が訪れる。空調のモーター音と厨房から聞こえる食器のぶつかる音以外には何も音を立てるものがない。腕時計のムーヴメントが放つ微小な音さえも聴き取れそうだった。