携帯の着信音で目が覚めた。心臓がギュッと掴まれるような感じがしたのは、とっくに学校へと出かける時間を過ぎていたからだけじゃない。薄暗い部屋のなかで光る液晶画面に表示された、見知らぬ電話番号。昨日の刑事だろうか――「なにかあったら、また呼びますんで」。別れ際、たしかにアイツそう言ったよな。もしかしたら、僕が犯人かもしれない、っていう証拠か何かが見つかったのかもしれない。だとしたら、また面倒なことになるな。
 でも、もしかしたら学校の人かもしれない。パトカーにのせられる前――まったく、あんな乗り物に乗せられるなんてたまったもんじゃない――「もしかしたら、明日出てこれないことになるかもしれないので、後で連絡します」って教頭に伝えたはずだ。結局、ずっと取調室で似たような質問を何度も繰り返されたおかげでタイミングを逃してしまったけれど。
 「あ?もしもし、私です。川上です」。通話ボタンを押した瞬間、早口でまくし立てるように名乗ったのは教頭だった。「館内先生、連絡くださるっていってたのに全然連絡くださらないから、どうなさったのかと思って」。すみません、と僕が言うと(寝不足のせいか、その声は自分の声じゃないみたいだった)「すみませんじゃありませんよ、まったく。心配してたんですから!」と教頭は続けた。でも、開放されたのは、明け方だったんだ。そんな時間に一体誰に電話すれば良いんだ?――お前だって迷惑だろ。
「で、今日はどうするんです?」
「え?」
「そんな寝ぼけたモグラみたいな声をお出しなんだから、今お目覚めになったところなんでしょうね……もう授業が始まるまで30分もないんですよ!」
「申し訳ないです……2時間目には間に合うように支度しますので……」
 教頭はまだ言い足りないことがある様子だったが、僕がそう言うと電話を切ってくれた。昨日、あんなことがあっても学校は普通に動いているらしい。まるで夢でも見てるようだ。
 でも、たしかにあれは現実で、その証拠に僕の尻には取調室のすわり心地の悪い、冷たいパイプ椅子の感触が残っていたし、鼻腔の奥には気色の悪い死体の臭いがこびりついている。僕が同じ臭いを嗅いだのは、これまでに二回ある。母親が死んだときと、父親が死んだときだ。優しかったときの母、力強かったときの父、綺麗だったときの山之内先生。生前の印象を吹き飛ばしてしまうような嫌な臭い。こいつをかぐとしばらく食欲なんか湧くはずない。
 給食に出たソフト麺が最後に食べた食物で、それもあんな場面に出くわしたおかげで胃液と一緒に戻してしまった。考えてみれば、あのソフト麺山之内先生にとっても最後の食事だったのかもしれない。年寄りの最後の晩餐ならば、消化に良いであろうソフト麺はとても適したものかもしれないが(胃に不快感を感じながら息絶えるなんて悲しすぎるだろう)、まだ三十路前で、これからってときの女性が死ぬなんて……。
 そんなことを考えながら、白いシャツに袖を通し、スーツに着替え、僕は車に乗り込んだ(ラジオのモーツァルトはあまりにも品が良すぎたので、すぐにスイッチをオフにした)。