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 ジェネシスが寝ていたベッドには、今日から新顔が寝泊りすることになった。これからはこいつが俺の相棒ってわけだ。俺より5つも若い高校を卒業したばっかりのガキだが、話を聞いたらコイツも俺と一緒で学校を出ても、生まれ故郷には仕事なんかなくて、軍隊に入ったってことらしい。ジョーと名乗ったそのガキは、西海岸のなんとかっていう田舎町の生まれで、親父が南米系で母親が中国系らしく、なんとも特徴がつかめない顔をしてやがる。彫りは浅く鼻も丸まっているのだが、浅黒い肌を持っていて何を考えているのかさっぱりわからねぇ。「軍隊は良いね。ご飯が3食出るし、お金ももらえる」なんてヤツは無表情な目で言う――というようなことを、俺はジェネシスからへの手紙の返事に書いておくった。あとは「相変わらず砂埃まみれの毎日だ」とかなんとか。
 なんの代わり映えもしない毎日だった。毎日、決まった時間に街をパトロールに出かけ、イラク人同士の間で何か揉め事が起きたらライフルをちらつかせておとなしくさせ、定期的にどっかで爆音が聞こえ、誰かが死ぬ。気が向いたら、その辺で暇をしていそうなやつに声をかけ、街に出かけて酒を飲んだり、イラク女を買ってみたりする。埃にまみれたメガネのレンズを拭きながら、仕方なく任務についている、って感じだった。あるとき、見知った顔が「イラクの治安を守る使命感を感じて、とてもやりがいがあります」なんて何かのインタビューに答えていたが、そんなものはくそったれだ。
 次第に俺は酒を飲む量や回数を増やしていった。自動車や建物にしかけられた爆弾が怖かったわけじゃない。ただ、現実から目を背けたいってだけの理由で。国に戻ってもやることはなく、食うためにはこの砂の街に留まるしかない、っていうのが心底嫌になってたんだな。俺はある日、隣のベッドで寝ているジョーに言った。「俺たちアメリカ人は、ここで一番えらい人間みたいに振舞ってる。ライフルを肩にぶらさげて歩いてたら、そんなえらそうな態度に出たくなるのが自然かもしれないけどよ。だが、実際はどうだ。俺たちはこの街に縛られてるんじゃないか?」と。そのとき、俺はもちろん酔っ払っていた。クアーズの缶を6本とテキーラをショットで4杯。ジョーにそう言ったときも片手に握ったクアーズの缶には、温くなったビールがまだ半分ぐらい残っていた。ヤツは返事をしなかった。自分のベッドに寝転がったヤツは、俺の話を無視して読んでいた本のページをめくっていた。ガキだから理解できなかったのかもな。
 だけども、俺はガキに無視されたのが気に食わなくて、あとガキに無視された俺が、ひどい酔っ払いになってる俺自身の姿が気に食わなくてさ。本当だったら怒るところかもしれないけどよ、そんときはなんか辛い気持ちになったんだよな。で、飲み残こしたビールをぐっと煽ったんだ。でも、全然気分は晴れないんだよ。そういうのってなんとなくわかるかな。飲んでも飲んでも、わだかまりみたいなものが残る感じでさ。でも飲まなきゃやってられない、と思って。まだ、もっと飲まなきゃ、って気分よ。でも、部屋に備え付けの冷蔵庫を開けて見たら、もうビールのストックが切らしてて、もう絶望的な気分さ。
 だから、俺はまた外に飲みに行こう、って思ったんだな。夜の11時ぐらいだったかな。とっくに消灯時間が過ぎてたし、任務以外の外出は禁止の時間だったが、そんな規則は関係ない。宿舎を囲んでるバリケードなんか簡単に乗り越えられるし、門番役の歩哨も大体は知った顔で、いくらか渡してやったら自由に通してくれるしよ。ちょっとふらつく足取りで部屋を出たんだ。
 宿舎を出たら寒かった。中東の砂漠地帯が昼も夜も年中暑い、ってイメージがあるかもしれないけどさ、砂漠って南国と違って結構夜は寒いんだよな。俺もこっちに来て初めて知ったんだけどさ。毎日半袖でいれるのかな、って思ったら大間違い。夜はジャケットを着てても寒くてやってられないんだよ。春夏秋冬ちゃんとあって、雪だって降るんだ。
 俺は寒いのを我慢しながら、深夜でもやってるバーを目指した。そこは完全にアメリカ人目当てに商売をしてる店で、店主はイラク人なんだが、イスラームの戒律なんかてんで無視して酒を売ってくれる、そういう店だった。どこで手に入れたかしらないが、そこにいくといつでもビルボード・チャートに入ってるような音楽が聞けたから、夜は大体、市街地ようの迷彩服をきた同僚で一杯だった。そのときもドアを開けるとそんな感じさ、イラク野郎なんか1人もいやしない。
 馬鹿話を続けながらゲラゲラ笑っているそいつらの間を潜り抜けながら、俺はカウンターのひとつだけ開いてたスツールに腰かけて、店主にジャック・ダニエルのダブルをロックで頼んだ。だが店主の答えはこうだ。
「すいませんな。こちらのお客さんでジャック・ダニエルをちょうど切らしちまったんですわ」
 俺の隣にいた男を手で示して、ヘタクソな英語で店主は言った。俺はまたそれで少し嫌な気持ちになったが、仕方がない。俺は「なんでも良いから強い酒、持ってきてくれ」と乱暴に言葉を返した。
「どうも、すみませんね」
 すると、隣にいた男が話しかけてくる。話し方は店主とは月とスッポン。どこの紳士だと思うほど穏やかな声で男は言った。俺は恐縮してしまい、しどろもどろ「いえ……平気です……」と言うのが精一杯。年は40を過ぎたぐらいのその男は迷彩服を着ておらず、顔つきや言葉の感じからして同僚には見えなかった。本国からきたジャーナリストかなんかか、と俺は思っているとそのうちに店主が戻ってきて、ショットグラスに入った緑色の液体を置いてった。一口啜ってみると口の中が熱くなり、鼻に空気がすっと抜け、薬を間違えて飲んだような変な味がした。確かに強い酒だった。俺は店主にこれはなんだ、と訊ねた。
「なんでい、しらねぇんですかい。こいつぁ、アブサンですわ。ウチじゃあ、スピリタスの次に強い」
「それにしても変った味だ」
 俺はひとりごとっぽくそう呟くと、それを聞いていたのか隣の男がクスクスと笑いながらこっちを見ている。なんだか不気味なオッサンだ、もしかして俺は狙われてんのか、なんて訝りながら、俺はそいつを無視してチビチビとやることにした。
「あなたには見覚えがある」
 もう一度、男が話しかけてきやがったとき、俺はいよいよこいつはオカマ野郎か、と思って「悪いけど、俺にはそんな趣味ないぜ」って言葉が喉元まで出掛かっていた。
「あなた、もしかして、ピーター・ガブリエルくんのところにお見舞いに来られた方じゃないですか?」
 そう言われた俺は男の顔を見て、ハッとした。そいつはジェネシスの野郎の主治医だったんだ。俺はそれでまたしどろもどろ。元から飲みすぎていたせいで呂律が回ってなかったかもしれないが、なんと返したものやら分らず、ひどく驚いたふりをして「白衣を着ていなかったから分らなかった」とか「偶然ですね」とか言った。もっとも、なぜそこまで慌てる必要があったか自分でもよくわからなかったけどな。